選挙結果で感じたこと

 日本人の国民性を現すのにこんな例え話がある。
 日本という国を大きな船に例えれば、船の甲板上に居る日本国民の大勢は誰かのかけ声に従って、一度に右か左に偏って移動し、真ん中に自らの意思に従ってとどまろうという人間が少ない為に船全体が大きく、右に傾いたり、左に傾いたりする事が多いのだと言う。
 確かに大東亜戦争(太平洋戦争)前夜からその終結に至るまでの日本は正に大きく、右に傾いていたのであり、終結からその後、十数年はまたその正反対の左へ大きく傾いた部分もあった様である。

 私は日本人の全てがこんなものだとは思わないし、この説を全面的に支持している訳でもないが、今回の衆院選挙の結果を見るにつけ、そうした一面も否定出来ないなと思った。
 総選挙というのは本来は国勢を左右し、国の運命を決めるはずのものであるから、各党、各候補の今までの総実績とその掲げた政策の全てによって、投票の判断がされるべきであろう。しかるに今回は小泉首相の掲げた郵政民営化に賛成か反対かという決断のみ迫るようなやり方により、国民は一種の催眠術にかかったように今までの小泉政権のやって来た事、そして郵政民営化後の日本がその他色々な面でどうなるかという事に対して殆どその思考を停止させてしまったのではないかと思える程、単純に自民党公認候補に投票してしまったのではないかと思われる。
 今まで何回も書いたが、日本の国には郵政民営化などという事より大事な懸案が幾つもあり、選挙の争点でそれらを殆ど無視、埋没化させて反対派を駆逐し、自分の周りにはイエスマンだけ置き、そして本来なら当選するはずもない実績も力もないような国会議員を多く生み出させた小泉首相のやり方は日本がこれから本当に重要な懸案に向かうのに著しくその国力を削いだのではないかと思う。
 反対派として今回、駆逐された人達の中には郵政民営化以外の懸案を解決するのに大変、有力な力を発揮し、日本国と日本国民の為に重要な役割を果たした人達も沢山いたかも知れないからである。

 私は今回の選挙結果のつけが今後、我が国の外交、内政その他もろもろの懸案事項において回って来ない事を祈る。

堀 浩二
by koujihori | 2005-09-15 12:26 | 時事問題 | Trackback | Comments(8)
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Commented at 2005-09-15 22:10 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2005-09-16 08:58
早勢正嗣様

 コメント有り難うございます。そうですね。でも雅宣先生の古い生長の家の形式にとらわれないやり方と小泉首相の自民党の利権体質をぶっこわすやり方というのは確かに古いものにとらわれないで斬新な事をやっていくという面では共通していますが、それが神の智恵に導かれているかどうかという所では全然違うと思います。
 小泉首相は確かに自民党の旧利権体質を破壊し、これからもしようとしていますがそれは主に財務省の省益を第一に見据えての事であり、経団連始め各経済団体をバックに自分達森派に有利な新たな利権体質を構築しようとしているのに過ぎません。即ち過去の利権体質は破壊したがそれは国民の利益の為ではなく自分達が利権を独占しようとするもので利権の奪い合いに過ぎないと思います。

 政治というのはそういう汚い部分が裏側にあるのですから、有権者は「改革を止めるな」とかいういつものワンフレーズポリティックスに踊らされず、もっと郵政民営化以外の事、小泉政権のこの4年間の業績を冷静に判断して投票してもらいたかった。そういう事です。

堀 浩二
Commented at 2005-09-16 17:20 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2005-09-16 21:06
早勢正嗣様

神の智恵というものはタイムリーに働くものでしょう。だから、その時、その場で神の導きで出て来た書物を別の時になったら、神の智恵で絶版にされるということもあるはずです。

雅宣先生の仰る事、為されることが何故神の智恵に導かれているか分かるかという事ですがそれは正に私がそう感じるからです。それを主観と仰られるならそれでも構いません。それは理屈では説明は難しいです。

でも、環境問題の事、バイオテクノロジーの事、そして今は余りナショナリズムの事を前面に押し出さない事等、その時は何故そんな指導をされるのかと思っても我々の心境が進むとそれが意味あるものだったという経験は信徒なら良くすると思うのですが。

堀 浩二
Commented by 早勢正嗣 at 2005-09-16 23:47 x
尊い漢文のお経でも、漢文の解らない私にとっては、単なる漢字という文字の羅列に過ぎない。真理を顕すために用いられる文字も同じだと思います。文字はもちろん大切なものですが、あくまで形として現れたものです。言葉として現れた文字は、その奥に宿る意味と一体となって、はじめて神の知恵に導かれたものとなるのではないでしょうか。尊い言葉としての文字であるがために、文字そのものが神の知恵の導きであると解釈する人が出てきて、文字を神格化するようになった。
神の知恵の導きとして顕れたものであっても、その形にこだわれば、必ずしも善果にはならない、神の知恵の導きから離れてしまうということではないでしょうか。対処法としては、形を一旦棄ててしまうという荒療法も必要なのかもしれません。
何を言いたいのかというと、この目に見える現象世界の中では、形として顕れたものに知らぬ間にこだわってしまっているのではないかということです。他に見えるものはたくさんあるのに、こだわっているために、見えていないのではないかということです。
Commented by 早勢正嗣 at 2005-09-16 23:47 x
そのように考えると、堀さんとはまた別の、小泉政権のこの4年間の業績の判断結果も出てくるのだろうと思います。
まぁーー、所詮、経済にも政治にも浅い、私が感じているだけのことです。
Commented by koujihori at 2005-09-17 22:29
早勢正嗣様

 形に現れたものにこだわらないというのは確かに大事な事だと思います。いわゆる不立文字ですね。不立文字は雅宣先生も仰っていますし、だからこそ、新しい真理の展開の仕方が出来るのだと思います。

 でも、生命の実相の本には雅春先生が過去の宗教が不立文字と言って文字に表せなかった真理を生長の家は文字で表す事に成功したのであると仰っている所があり、それが古い信徒が雅宣先生は雅春先生の仰った事を覆しているという攻撃材料にもなっています。

 でも私はやはり雅宣先生の様に真理は不立文字だと思います。雅春先生も同様のお考えだと思います。さっきの生命の実相の本のくだりは方便的に仰ったのだと思います。

 堀 浩二
Commented by koujihori at 2005-09-17 22:30
早勢正嗣様

 でも確かに「言葉の力」というのもありますよね。お前は神の子だと言われるのとお前はもう駄目だ言われるのではやはり全然違います。

 私が思うに言葉の力の本質は日本語とかの特定の言語に表れる前の生長の家でよく言われる、いわゆる宇宙に満ちている「コトバ」というものだと思います。それは不立文字である所の宇宙の真理と同じものだと思います。

 そこから発せられた波動が翻訳化されたものが日本人に取っては日本語だし、アメリカ人に取っては英語となるのだと思います。

堀 浩二
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