死はナイ

 うちの隣家のお宅が引っ越して行って半年。隣家は門に使っている大谷石がボロボロ。屋根のとゆが外れてガタガタ。物質的条件は全く変わらないのに空き家になると家ってボロボロになって行く。

 それは家でも車でもその形を支えているのはその持ち主の心だから。だから人間も魂が抜ければその肉体は腐敗する。

 だから人間は肉体ではない。そこに宿る魂が本体。だから生長の家では死はナイと教えている。



 誰かが死んだ。この前も芸人の桜塚やっくんが高速で死んだなんて記事が出てましたが本当は死んだのではない。魂が抜けただけ。



 僕達はこの現象世界の常識というものに縛られている。それは現象世界という影の世界が具体的にある世界だという錯覚に陥っているから。でもその錯覚が無ければこの世界に生活する事が出来ないからそういう事になっている。

 でも生長の家の真理を学んだ人は「死はナイ。単に住む所を変えただけ。あの人は死んだ様に見えて死んでない」という認識を持たなくちゃいけないでしょうね。

堀 浩二
by koujihori | 2013-10-29 12:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/19892316
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< そのままでよい(41) ここがそのまま神の国である。 >>