悪はナイ

 ある会社の支社があって、その支社長が数年に一回、本社から交代で赴任して来るのであるが、そこの支社の古株の従業員は今の支社長が嫌いで、こういう欠点もある、ああいう足らない所があるとその支社長を批判していたのである。

 そんな時、次期にはまた新しい支社長が赴任して来るという事が決まり、その人が噂によると素晴らしい支社長らしいという事でその支社の従業員は皆、新しい支社長に期待し、その人が赴任して来る事を心待ちにし、今の支社長が早く去ってくれる事を願っていた。

 そして、念願の新しい支社長が赴任して来て、今までの支社長は他の支社に移って行ったが、そうこうして数ヶ月経つ内、段々とそこの支社の従業員は新しい支社長の欠点、ほころびが目について来て、前と同様、その新しい支社長の批判を始めたのである。曰く、「前の支社長の方がまだましだった」と。

 そう言えば、前の支社長も赴任して来る時は大変素晴らしい人物と評判だった人で皆、最初は期待していたのであった。

 皆さんはこの話しをどう思いますか?実はこのたとえ話と同様の事は現実にいくらでもあるのである。遠くのもの、過去のものは良く見えると言ってしまえばそれまでだが。

 この世界は具体的に実在する世界ではなく、我々の想念が映っている文字通り現世(うつしよ)であるというのが真理である。
 我々はあの人が悪い、これが問題だ、悩みだと嘆くが、現象世界の奥にある真実世界の霊的世界は完全円満の神が作り給うた世界であるから一切の悪も悪人も問題も悩みも罪もナイのである。
 従って、どんなに悪い姿が目の前に展開していようとも具体的な悪人とか問題というのは存在せず、全て自分の想念が作り出したものであるのである。
 それらは全て、この世には悪あり、問題ありとして悪とか問題を勝手に心に描いて、それをつかむ自分の心が映っているだけなのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-10-28 08:09 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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