自信について

 皆さんは自分は自信がある方だとお思いだろうか、それとも無いとお思いだろうか?
 人はそれぞれ、天分が異なるから、得意分野が異なり、それぞれ得意な事に関しては自信はおありだろう。

 自信とは自分を信じる能力であり、それは何を為す上でも最も大事な事である。人間は神の子であり、内にと言うか、潜在的に無限の可能性、無限の能力を秘めているのである。しかし、それを引き出すのはそれを信じる力である。

 どんなに力のある巨人でも小さな蚊が自分に病気をうつすのではないかと恐怖すれば力の発揮のしようがないのである。
 従って、我々は子供とか部下、後輩を育てるのは大声で威嚇して、自分の言うことをきかせたり、失敗したからと言って、それをきつく言葉の暴力で責めて、相手を萎縮させてはならないのである。
 故に誰に対しても相手の非を責めるのではなく、相手の長所をほめて、自信をつけさせてあげるという事は本当に大事な事であり、この間、日本一になったロッテのバレンタイン監督などはその点は徹底していて、選手が失敗しても責めるということは先ず無かったそうで、その代わり、良いところ、ナイスプレーをほめまくり、選手の潜在能力を充分出させ、日本一になったのである。それをボビーマジックと呼ぶらしい。

 それはともかくとして自信というのはその様に他の人に言葉の力でつけさせて上げる事はもちろん大事だが、だからと言ってこちらが自信をつけさせてもらう事を他人に期待してはならないと思う。即ち、本当の自信というものは他人からの賞賛に頼るものであってはならないと思うのである。

 私は割合、デリケートな所があり、他人からバカにされたり、言葉でくさされるとそれに引っ掛かり、落ち込む様な所が多分にあったのである。
 ことに女性からの自分の男としての評価というものが非常に気に掛かり、十代、二十代の頃は女性にふられる事を極端に恐れていた。だから、結婚前は自分から積極的に女性にアプローチした事は殆ど無かった。ふられるのが恐かったのである。

 女性にふられるのが一回、二回なら良いがそれが何回もになったら、自分は自信を完全に打ち砕かれて立ち直れなくなるのではないかと思っていた。自信を失うのが何よりも恐かったのである。
 それは他の事にも同様であり、趣味のテニスにしても、他人から私のテニスの腕前をほめられる事もたまにあるが、くさされる事があったりすると非常に落ち込む所があった。私は野球とかもかじっているが野球はそれほど本腰を入れていないがテニスは本腰を入れているのでこれの腕前を否定されると自分の存在を否定されたような気がしたものである。

 でも、自分の自信のより所を他人からの評価に求めるという事自体が自信が無いという事であると気が付いたのである。
 自分が自分の可能性については一番分かっているのであり、自分の中に無限の可能性があるのだから、自分がそれを認め、自分で自分を信じておれば、それで良いのである。

 それこそ正に文字通り本物の自信であり、それがあれば他人が何と言おうとどう思おうとどうでもよいのである。
 それが分かれば自分が他人にどう思われているかということを気にする心の苦しみも無くなり、ただ自分が相手またはものごとに対して努力と愛情を注ぐ事だけを考えて、与える悦びだけで生活する事が出来るはずである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-11-03 20:22 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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