生長の家の運動は神様の運動

吉田國太郎先生が青年会の全国大会で
「あなた達が今そこに座って私の話を聞いている。何が聞いているのですか?!それを肉の塊が聞いて居ると思っている人、将来必ず生長の家を止める時が来ますよ!!」
 と絶叫されているテープを聴いた事があります。

 要するに我々が生長の家を信仰したり、活動したりするのは肉体の自分がやるのじゃない。内の内なる神の生命がやるのだという事ですね。神想観も肉体の自分がやるのじゃない。内の内なる神の生命がやる。神が神する神想観でなくてはならないと言われますが正にそこだと思います。


 生長の家を長らくやっていたのに別派を立ち上げる。これは我(が)だと思います。神が神するのが生長の家の運動の根本であり、そこに霊界の高級霊の活動があり、その高級霊の導きにより、現象界の人間が生長の家の活動をする。
 生長の家の講師になるとそれ相応の守護霊がつき、内側から指導して下さる。また、青年会の委員長とか相愛会白鳩会の連合会長になるとやはりそれ相応の高級霊が守護霊となり指導して下さる。ある人がそうした役職につくとその人は確かに昨日までのその人ではあるけれどもどこか違う感じがする。高級霊のオーラみたいな感じ、連合会長なら連合会長のオーラみたいな感じが出て来るというのはそういう事ですね。
 で、もちろん生長の家の運動の不動の中心は生長の家の大神-総裁・副総裁-御教えです。これも完全に生長の家の大神という人類光明化運動を司る神の流れが中心になっている。
 だから、生長の家の運動は神様の運動であって、人間が我(が)がやる運動ではない。それを「私が」「自分が」やるのだという気持ちが抜けない人は生長の家の運動と波長が合わないからここから抜けざるを得ないという事だと思います。
 先祖供養は私がやるのだ、行は私がやるのだ、人を救うのも私がやるのだという信仰では本当の神様の運動ではないです。そこには「私が私が偉いのだ。憐れな人類をこの偉い私が救ってやっているのだ。」という傲慢さがあるのみです。
 こうした人達が別派を立ち上げると思います。

堀 浩二
by koujihori | 2015-03-24 10:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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