罪は赦される(3)

 現象を見れば、この世は不完全だらけであり、完全で落ち度のない人生を歩んで来た人は先ずいないのではないか?あの時、あんな事をするのじゃなかった、言うのじゃなかったと後悔する事は誰でもあると思う。

 でも、人間はそれらの現象がアルと思って、自分はこれだけの失敗をした、罪を犯したという事に心を引っ掛からせ、自分を責めていても又、同じ様な罪を犯してしまうのである。

 例えば、自分は酒や煙草が体に悪い、悪いと認識していて、それをやめたいやめたいと思っていても、そう思えば思うほど酒や煙草に心がひかれてしまうとか又、過去に女をこれだけ泣かせて来た、これだけ不幸にしてきたという事を後悔し、心を痛めていても、不思議と又、同様に女と恋に陥り、また不幸な結末となり、女を泣かせてしまうのである。

 自分のやって来た事を間違っていたと反省するのは良いが、それにいつまでも心を引っ掛からせ、それを償う為にああしなくちゃならん、こうしなくちゃならんとあくせくして、例えその通りやったとしてもそれでは本当に罪が赦された事にならないのである。
 
本当に罪が赦されるという事は現象はどうあろうともそれは単に自分の心の影であって、真実在ではないと悟り、その奥の真実相の世界では自分は完全円満の神の生命であり、何の罪穢れのナイ存在であったと自覚する事である。
 それを大懺悔という。小懺悔というのは自分はこれだけの失敗を犯しました、あれだけの罪を犯しました、どうぞ赦してくださいというものだが、本当の懺悔、大懺悔というのは現象は心の影であってナイと悟り、本当の自分は未だかつて一度も失敗も罪も犯した事が無い完全円満の神の子であると悟る事である。
 その自覚を得る事が真に罪が赦されるという事である。その自覚になれば自ずと罪に心が惹かれなくなる。そして自ずと女癖が治ったり、酒煙草が止まったりするのである。

 そして、その自覚は現象の奥にある真実の実相世界が始めから完全円満で何の罪も未だかつて一度も犯された事もない、従ってその犠牲になった生命も全然ないという世界を認めるという事である。
 実相の世界では堕胎された胎児も、戦争で虐殺された犠牲者も何もないのであり、そこにいるのは始めから完全円満の少しも傷付けられた事の無い神の子の生命だけである。

 その生命の実相を本当に拝み、そして、それを祝福する所、自ずと現象的にもこの世界が整って来るのである。何故ならばこの現象世界は我々の認識が映っている映し世(現世)であるからである。それこそが罪が真に赦されるという事である。

 戦争は良くないから止めよう、起こさない様にしようという事は普通、誰でも思う事であるが、それでも中々戦争がこの地球上から無くならないのは人類がこの現象が本当にアルと思って、自己に罪あり、罪ある者は罰せられなければならないと自己処罰しているからである。
 9.11のアメリカの同時多発テロでもそれを引き起こしたテロリストに飛行技術を伝授したのは他ならぬアメリカ人自身である。即ちアメリカ人は自分で自分を罰したのである。

 現象は我々の心の影であり、それは真には存在しないのであり、その奥にある霊的実相世界は完全円満であり、未だかつて一度も罪が犯された事もなく、その犠牲になった生命もない世界である。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-11-16 15:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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