悟りも無限生長である。

 私が今実感するのは
 「悟りも無限生長である。」という事である。

 私は子供の頃から生長の家に触れており、青年期から生長の家青年会に入って組織活動もして来たし、その中で生長の家の真理を学び、伝える中で火の出る様な経験もして、宇治の榎本恵吾先生の元に導かれ、そこで生長の家の神髄の薫陶を受ける事が出来た。それが今から18年前の平成9年7月の事。

 しかし、それで「自分は悟った」などとはとても言えないという事を最近とみに自覚する。実相独在の生長の家の神髄の薫陶を受け取り、自分のものにはする事が出来たが現象の私はいくらでも至らない所があったし、今もあると思う。自分勝手であったり、肉欲にふけったり、利己主義であったり、傍若無人であったり、嫉妬心が強かったり。また、自分が肉体であるとまだどこかに思っている節もあったのである。

 しかし、それはまだ私の中の実相における悟りが表面に出きっていないからである。悟りはいくらでも無限生長するのだ。人間の内在の可能性が無限であり、もうこれで良いという事は無いのと一緒で実相独在の生長の家の悟りもいくらでも無限生長するのである。
 それは悟りがまだ表面に出てこない事により現象的に不完全さ即ち前述のような利己主義、傍若無人さ等がある事により色々と他人から不遇を受けたりと苦労する。その中で切磋琢磨される事で悟りの無限生長がある。

 そして悟りが生長すればするほど、自由自在さが増し、より魂が解放され、人格も形成され、他の人に喜ばれる人間にますますなって行くのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-10-07 12:48 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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