生長の家の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。

 私は最近になって改めて生長の家の教えの偉大さ、筆舌では尽くしがたい素晴らしさに目覚めて来た。

 私は幼い時から生長の家に触れていて、組織活動もやり、求道と伝道をやって来て、火の出る様な思いから生長の家宇治別格本山の榎本恵吾先生の薫陶により、生長の家の神髄を把握する事が出来た。今から18年前の事であるが、その後、日常生活の中で自分の生活習慣が自ずと変化して行き、肉食は十年ほど前から基本的にしなくなり、三年前から食事量も減り、肥満体型も治った。そして、その他の習慣でも肉体に良い状態に自ずとなって行った。これは中心的信仰を把握しているからだろう。そして、父の認知症の介護の経験から現代医学の化学薬品が健康に良くない事を知り、それも基本的に飲んではいない。

 しかし、そうした中でいつの間にか自分が薬であるとか生活習慣であるとかそうしたものに影響を受ける肉体であるという迷いの状態に居た事を最近自覚した。そして自分は生活習慣とか食物だとか薬だとかに影響を受ける存在であり、従ってそうした外部的要因を良いものにしなくては自分という存在は保たれないのだと思い、かつ、信仰も肉体を良い状態に保つための一つの方便であるとまだ思っていたのであった。

 しかし、真理はそうではない。本当の真理は「自分はたった今、完全円満であり、無限力であり、信仰によって自分の潜在意識を清めたり、食物や薬品によって肉体を保たなくても良い存在である。」という事である。そして肉体はナイのであり、吾等は自分が今完全円満、無限力であると自覚してその通り行動して行けば肉体や現象は心の影であるから肉体も現象も徐々に良化し、能力も健康も回復し、神経細胞その他必要なものは修復されて行くのである。
 
 それが生長の家の真理であり、これ以上素晴らしい真理があるだろうか?

堀 浩二
by koujihori | 2015-10-07 15:19 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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