生長の家を学び続けるという事は自己の中に神即ち真理を見出す事

 私は生長の家の真理を自分の言葉で述べていて、生長の家の○○先生はこう仰いました的な生長の家の真理を人ごとの様に語る書き方をしない。生長の家の真理を自分の実感ではなくて、雅春先生、清超先生、雅宣先生の仰った事を丸暗記してそれをそのまま伝える事が生長の家だという考え方ではないのである。

 釈迦が後継者として認めたのは多聞第一と言ってお釈迦様の仰った事を蓄音機のごとく全部暗記して一言一句同じように言い得た阿南ではなく、釈迦が蓮華の花を捻って瞬きした際、それの示す宇宙の真理(中心帰一)をただ一人理解要するに不立文字の真理を体得した迦葉であった。

 要するに生長の家の目的は自己の中に神の国を見出してそれを表現する事にある。その神の国、神は真理そのものだから生長の家をやって行けば自分の中に真理を見出す事になる。そして真理というのは真理の言葉であるから、真理を見出した人の内側からその人の言葉で真理の言葉が語られ、それが文章化される事もあれば、講話で話される事もある。それが人間神の子の自覚であり、それを万人に実現させるのこそ生長の家の運動の目的だろう。

 谷口清超先生は生長の家の人は講師になって、個人指導をする際に相手をどう指導したら良いかは直感的に内側から判断すべきものであって理屈ではないと仰っていた。

PS 但し、誤解しないで頂きたいのはそれだからと言って私は生長の家総裁・副総裁も関係無く勝手に自分で生長の家の真理を語るのではなくて、実際、現総裁のご指導、御著書の中から多くの学びを得ている。「観世音菩薩讃歌」は誠に素晴らしい真理の内容が書かれてあり、そこから多くの大切なお導きを頂いている。
 要するに自分の中に真理を見出したからと言って、教えの中心者とか師を蔑ろにするという事ではなくて、自分の中の真理が出て来る際、師に導かれるという形を通してそれが為されるという事であり、私は自分の中に真理を見出してより一層、生長の家総裁・副総裁のご指導の素晴らしさと意義がよく分かる様になった。 それはやはり生長の家の運動の展開が「生長の家大神-総裁・副総裁-御教え」の流れにあるからだろう。要するに真理というのは自分の頭脳智という肉体ではなくて、師から自分へと久遠の生命の流れる中での学びの中から内側から自ずと啓けて来るというものだと思う。

堀 浩二
by koujihori | 2015-10-14 13:40 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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