そのままでよい、全てを受け容れるという意味

 先日、鎌倉テニス選手権55歳以上の部で0-8で惨敗。私は56歳なので年齢は言い訳にはならない。

 私は以前はテニスの大会に積極的に挑戦していたが6年前に親の介護の問題が生じてから遠ざかっていた。また通勤は親の送り迎えがあった為にそれまで電車通勤だったのを車通勤にしていた。50歳を過ぎればただでさえ足腰に衰えが来るが車通勤だったのでことさら衰えたと思う。
 
 そして、今年の始めに父が他界したのをきっかけにテニスの公式戦への挑戦も再開する事にした。そして、鎌倉テニス選手権へのエントリーをした。そしてその二週間前に手慣らしの為に練習試合の大会に出場した。そこで4試合して戦績は1勝3敗。1勝出来たのは自分としては自信となった。
 で本番の一週間前にネットで大会の対戦相手を調べたら何と知り合いのY氏。彼は私より一つ下だがかなりの強敵。今まで対戦も何回かあるが最初は相手のミスで勝てたがその内、Y氏は腕を上げ、全く歯が立たなくなった。それが7年前だ。その後、Y氏は頻繁に大会に出場している様でますます強くなっていると思われた。その上、私はこのY氏が若干、人間的に苦手。態度が悪く、愛想もない人間なのだ。
 
 私は非常に憂鬱な気持ちになり、非常なプレッシャーを感じたのだった。
「よりによって復帰第一線がY氏が相手なんて」と思った。逃げ出したい気持ちになったのだった。もし、スコア0-8で1ゲームを取れなかったら相手にあざ笑われるのではないかという取り越し苦労が頭をもたげ、いてもたってもいられない気持ちになった。私としてはフライパンの上の炒り豆の様に気持ちになった。逃げ出したい!でも逃げ場がないと。
 で、恐怖するとストレスが出る。夜も眠れなくなるだろう。そうすると体調が悪くなり更に状況は不利になる。負の感情をスパイラルはどうにも止める事は出来なかった。それでそういう時は心を明るく持とうとか今に集中しようとか全託しようとか思ったが結局
「全てを受け容れ、そのままであろう。」と思った。そうしたらまあまあ眠れるし、体調も自分で心配するほどは悪くならなかった。ただ大会の前日はひどい下痢になった。

 そして、当日を迎えたが、私は冒頭に述べた様に全く身体が動かず良い所は全然無いまま恐れていたスコアの0-8で1ゲームも取る事が出来ず惨敗した。
 私は本当に穴があったら入りたい気持ちで会場を後にした。

 私は表面的には散々な経験をした。相手がY氏ではなくて見知らぬ人であればあんなに事前にプレッシャーを感じず、体調を崩さなくて済み、あそこまで身体が動かない事はあり得ず、勝てなかったとしても何ゲームかは取れたかも知れない。今回は最悪の運命と結果だ思った。
 
 しかるに
 私はこの経験で何が今の自分に必要なのかが如実に分かったのだ。それは日頃のトレーニング不足である。
 前述の様に事情があったとは言え私はこの6年間は毎日車通勤であり、それがただでさえ足腰の衰える50代でことさら足腰の弱体化を招いた。そして、グラウンドストロークを粘り強く正確に繰り出すトレーニングも全くやって来なかった。こういう事が私には本当に欠けていたのだ。それに気づく事が出来たのは最高の収穫なのだ。
 私はこれを機に月一で練習試合会に出て、毎週、壁打ちでグラウンドストロークとサービスの訓練をし、そして毎朝の素振りは回数を倍にする。そして三年後をめどに優勝をするつもりだ。

 こうした転換が出来たのは正に今回の経験によるものでそれは今回の過酷な運命を背負い、それを如何に良くしようとか気持ちをリラックスさせようとか恐怖心を取り除こうとかしなくてもそのままで自分の運命が自分の能力を開花させるのに最も素晴らしい練習台とか経験であったと言う事。

 それが
「全てを受け容れる、そのままでよい」という本当の意味であると思う。この世界は表面的に如何に見えようとも本当に悪い事は一つも存在しないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2015-12-14 13:02 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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