実相顕現に我(が)は要らない。

 親に感謝出来て無くて病気になっている信徒を感謝してないとして批判するのは間違っている。生長の家はそんな教えではない。親に感謝してないから病気になるという見方は正しい。しかし、それはその感謝出来ない人が悪いからそうなるのではない。その人の実相がまだ顕現してないから感謝出来ないだけである。

 大体、実相が出て来るのに我(が)は要らない。感謝しなくちゃ駄目じゃないかと外側から我(が)で責めるものではないし、自分にも強いるものではない。実相が出て来るのは実相自ら自分で出て来る。我(が)で「こうしなくちゃいけないじゃないか」として出すものではない。実相は自分で出て来る。それが全託という事であり、神に生かされているという事であり、それが実相独在であり、神に感謝するという事である。

 神の他に実相が出て来るのに我(が)が必要というのでは神に全幅の感謝という事にならない。それは生長の家の教えではない。

 実相は自分で出て来る。問題は神が消して下さる。それが今ここそのまま神の国であり、悪い人は一人もいないという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-03-14 17:17 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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