生長の家の生き方はどうしたら出来るのか?

 生長の家の生き方が出来る人は良いが自分は意志が弱く、信仰も足りないので出来ないという人がいる。私自身も「生命の実相」生活編の「取り越し苦労するなかれ」というのがどうしても出来なかった。
 しかし、神様は生長の家の生活法を実行出来る人間と出来ない人間と分けて造られたのであろうか?端的に言えば心の強い人と弱い人と分けて創造されたのだろうか?

 そんな事はありますまい。人間は神の子であり、完全円満であり、勇気そのものであり、無限力そのものだから全ての人は生長の家の生き方が出来るのである。否、吾々はそのままで生長の家の生き方そのものなのだ。

 それなら何故、表面的にどうしても生長の家の生き方が出来ない人がいるのであろうか?それは我(が)がやろうとしているからである。我(が)は本来存在しないからいくら力んでも何も出来はしない。ただただ内なる神が神する事でしか吾々は何も為し得ないのである。それならどうやったらその神が神する行動が出来るのであろうか?それは吾等の内なる神即ち実相は自分で出て来るのである。そして自分で出て来た実相が実相して生長の家の生き方が出来る。
 それは誰でもそうなのだ。そして我(が)が頑張ってあくせくしている状態も実は実相が自分で出て来る初期段階と言うかその迷いの状態が基礎工事となって実相が出て来る。
 それが「そのままでよい」という事である。

堀 浩二
by koujihori | 2016-04-12 10:01 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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