実相独在の信仰は相手からの報いを求めない。

 信仰というのは肉体や現象を信じるのではなくて内なる実相を信じるものである。そしてその内なる実相は完全円満なものとして今ここにあるのである。そして自分は今このまま神の身であり、完全円満である。
 それを信じるのが生長の家の信仰であり、その信仰なら今すぐ悦べるのである。

 それに対して信仰したら現象が良くなるだろうと思って現象が良くなれば悦ぼう、感謝しようというのは現象や肉を信じる信仰であり、それは生長の家の信仰ではない。

 今、完全円満である。という信仰は結果を求めない。それは報いを求めない信仰である。だから、実相独在の生長の家の信仰を持って、それを実践している者は今悦べるばかりか相手に自分が施した事に対して何の報いが無くても絶望せず、報いを求めず、相手を憎む事もせず、ひたすら相手にただ与える事が出来、それを持って悦べるのである。
 そして相手の内なる完全円満の実相を観て愛せるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-07-27 09:31 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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