実相は自分で出て来るがそれは全力であり真摯そのものである。

 実相は自分で出て来る。私はここ半年それを正に実感している。
 実相が自分で出て来るというのは自分は何もせずにのんべんだらりとしているという訳ではない。必死の全力の努力を傾注する事でもある。しかし、それは我(が)ではなくて自分の中の神が神して為される事である。だからそれは神への全託であり、神への絶対帰依であり、神への満腔の感謝である。

 生長の家の生き方は誠に素晴らしい。しかし、それは我(が)ではなくて自分の中の神が神して行うのである。その差は非常に微妙だが天と地ほどの差がある。そうなる為にはどうしたら良いかと言ったらそれはいずれ誰でもそうなる。実相は自分で出て来るからである。

 それはともかく私は生長の家講習会の推進で今まで如何に自分が人の実相を拝んでいなかったを痛感した。
 私の鎌倉相愛会の参加者目標数は20名である。前回の参加者が15名であり、それに対して5名のプラスである。しかし、目標を立てた以上はそれを達成すべく全力にならざるを得ない。私は教区相愛会連合会で副連合会長でもあるので立場上みっともない事は出来ない。

 それで一所懸命になった。講習会は11月13日であるから半年ほど前から参加促進を始めたがこれがいっこうにうだつが上がらない。この人は行ってくれると目星を付けていた人が様々な理由で次々と駄目になって行く。本当に焦った。
 そして先月に教区の練成会を一日だけ受講したがその際、白鳩会の女性が講習会の推進体験談をしていたのを聞いた。その女性Kさんは先祖供養の霊牌を毎月書いて教区で供養してもらう事と参加対象者を如意宝珠観で一人一人祝福する事と日時計日記で既に参加者目標突破を書いている事をせっせとやっていたら自己限定観が取れて推進のパワーが出て来て、実際既に参加者目標100名を達成したというのだ。

 私はと言うと祈りながら推進するというのは昔から聞いていたが実行した事は殆ど無い。ただ行ってくれそうな人にだけ声を掛けて行ってもらうという推進しかして来なかった。そんなやり方で毎回少しずつ行ってくれる人が少なくなって来ていたのだ。
 それは私が人を責め裁く心であったからだ。うちの鎌倉地区でも「あの人は駄目だ。この人も見込みが無い。」と心で裁いて勝手に排除していたのだ。そんなこんなでそういう人はもちろん、行ってくれると思った人も次々と脱落して行ったのだ。
 私ははたと悟った。私の鎌倉地区で会員が少ないのも誌友会の参加者が少ないのも講習会の参加者が少ないのも全て私の人の悪を見て責め裁く心が原因であったと。

 そして、私は大懺悔し、今までの心を改め、人の良い所、実相をひたすら観る事を決意した。現象的に如何なる意地悪に卑怯に悪く不完全に見えようともそんなものは全て自分の心の影でありその奥にその人の完全円満の実相があるという事を直視する決意をし、それを断行して行ったのである。
 そして如意宝珠観で参加促進対象者の実相を祝福する祈りを二週間ほど前から始めた。そしてもちろん参加促進の努力も最大限にしているがその中で今まで何度家庭訪問しても会えず、もうこの人は駄目だなと思っていたH氏(56)にも会え、受講券を渡す事が出来、またこちらから何度電話しても出なかったA氏、そのA氏からも電話があり、講習会の参加確約をしてくれた。
 私が彼らの実相を拝んで祝福する祈りをする様になったらそういう変化が現実にも出て来たのである。

 それはともかく私として一大自己変革が出来、人を責める心ではなくて人の実相を拝み、感謝する心になれた事が非常に大きい。これはいくら感謝しても仕切れない事である。
 私の「他の人を拝み感謝する」という実相が出て来たのである。これは実相が自分で出て来たのだ。

堀 浩二


by koujihori | 2016-09-30 16:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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