便利さへの疑問

 我が家は私が映画好きで、スポーツ好きであるのでその手の番組ばかりを放送しているWOWWOWという有料テレビに申し込んで観ている。
 
 それで先日、そのWOWWOWで「ハリー・ポッター アズガバンの囚人」という映画を観ていた。私は集中して観ていたが、家族の者はその横で何となく他の本を読んでいたり、適当に過ごしていた。
 私はその時、こんな事は二十年前には無かった事だと思った。というのは映画が映画館でロードショー公開されてからそれが後に「日曜映画劇場」とか「金曜ロードショー」などのテレビ番組で放送されるのはその二、三年後でその時はあの有名な大作映画がテレビで観られると家族みんなでテレビにかじりついて悦んで観たものである。

 でもその後のレンタルビデオの出現、そして現在はレンタルしなくても殆どどんな映画でも1,000円から1,500円位でDVDを購入すれば自分の好きな映画が観れるという状況になって来ていて、先に述べた「ハリー・ポッター」などは映画館で公開されてからまだ一年にも満たない作品なのにもうテレビで観られるのである。
 昔は映画というのは本当にわくわくして観たものである。でも、それがビデオとかDVDとかWOWWOWとか便利なものが沢山出て来て、ちょっと前に公開された映画でも割合自宅で手軽に観れるという事になって、映画に対するときめきというかわくわくした心が庶民の間で薄れて来ていると思う。

 技術的な事が進歩して生活が便利になったからと言って、また物質的に豊かになったからと言って、人間が幸せになったとはどうしても思えないのである。
 私が子供の頃の昭和三十年代、四十年代には現在の様にインターネットもメールも携帯もパソコンもDVDも何も無かったし、ものが有り余っている社会でも無かったが現在の日本よりも遙かに毎日の生活が生き生きとして殆どの日本人は未来に対して希望に満ちた生活を送っていたような気がする。
 昭和三十三年当時の日本の庶民の生活を描いた映画「オールウェイズ」が今、話題を呼んでいるがその当時の貧しくとも人々の心がまだ温かかった日本に対する郷愁を多くの人達が私同様感じているのではないか?

 前述の様に最新の映画がどんどん自宅のテレビで観れるようになり、家に何台もテレビや車がある家が珍しくなくなり、携帯もパソコンもインターネットも普及し、カードで何でも買える様になっている一方、毎日の様に目を覆いたくなるような異常な事件の頻発、親が子を虐待し、子が親を見下している様な事態が世間を蔽っている。
 生活がテクノロジーの進歩により便利になり、物資が豊かに有り余る様になったからと言って、それが決して人間の幸福につながってはいないのである。

 人間の幸福とは物質の豊かさにあるのではなくて、我々人間自身の心の中にあるのである。貧しくとも家族お互い思い合う心、小さきもの弱いものに対して、思いやりと愛情を注ぐ心、そしてそれに感謝出来る心、そして自然と神様に信頼して感謝出来る心、これらの純朴な人間の心の幸福の中にこそ真の幸福がある。

 それを自覚し、物資を無駄遣いする事を止め、物資が少ない状況でも感謝出来る様になれば我々は今すぐ幸福になり、そして資源の無駄遣いを自ずと自粛する様になり環境も破壊しないようになれると思う。

堀 浩二
by koujihori | 2005-12-12 08:46 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)
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