悟りはあくまで実相独在の悟り

「続々甘露の法雨」で
「色々と悟らせて頂きましたなどと種々の迷いや罪にとらわれるは却って悟りに遠き事」と記されている。
 これはどういう意味であろうか?
 そもそも生長の家は実相独在、今ここそのままで(実相そのままで)神の国であり、吾が身そのまま神の身(おなじく実相の事)であるというのがその真髄であり、それでしかあり得ない。そして存在するものは実相と実相が自分で出て来る事しかないという事である。だからその悟りが本当の悟りであり生長の家の真髄である。それが分かればありありと今ここに実相とその無限生長がある事が実感され、唯心所現の法則に従ってその通りの現象が展開するという事である。

 では何故、冒頭の様な「色々と悟らせて・・・」という境涯ではいけないかと言うとそれが現象に引っ掛かるものであり、実相独在の悟りとはかけ離れているからである。

 しかし、生長の家では観世音菩薩の事を説き、自分以外のあらゆる現象、人、もの、事は自分の心を映して下さる観世音菩薩の御働きであると説く。その中で自分の心を反省する事により無限生長がある。だがその学びの体験に引っ掛かっては足をすくわれるという事だ。実相独在であり、実相と実相が自分で出て来る事しかない。そのままでよい。神に全託でよいのであり、その実相顕現の過程の中で観世音菩薩のお導きによる学びがあるというのであり、やはり、実相独在なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2016-11-25 10:49 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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