悩む心は日時計主義で消える。

 悩みというのは尽きないものである。それは色々と形を変えて続く。で悩みの対象が変わると以前はどうしてあんな事で悩んでいたのか不思議なのである。それはとりもなおさず悩む具体的な対象というのは本来存在せず、ただ自分の悩む心がつかんでいただけなのである。誠にもこの現象世界は心の影である。

 要するに悩みというのは具体的に実在するものではなく自分の悩む心が映し出しているのに過ぎないのである。だから悩む心を自分が抱いている限りは悩む対象は次々と形を変えても悩みとか不安とか恐怖というのは続いて行く。そしてそれが高じたのがノイローゼである。ノイローゼは脳の病気である。悩む心により脳にストレスが刻まれ、脳の組織に損傷を生じ、そして不安と恐怖でさいなまれ、眠る事も出来ない。それが精神病でありノイローゼである。

 ところで悩みについてこんな仏教の話がある。それは家が狭い狭いと文句を言っている男がいたという話である。そして近所の寺のお坊さんに相談した。そうしたらお坊さんはその男に「お前が飼っている牛と馬を家の中で飼え。」と指示した。それでその男はただでさえ狭い家なのに牛とか馬を入れたら更に狭くなると不満に思ったがともかくその指示通りにしたのである。 
 そして一週間ほどしてそのお坊さんがもう元通り牛と馬を納屋に返して良いというので男は元に戻した。そうしたら元々狭いと思っていた家が何と広々とした家であったかと分かったというのである。
 これは悩みの種なんて存在せず、その男の悩む心のみが存在するという事の仏教の例え話である。

 さて、生長の家の信仰は実相独在であり、その真髄は今ここそのまま実相世界であるという事であるがそれが現象世界に具体的に展開する為にはその実相独在の悟りに基づいて具体的に生活の中でその悟りが訓練されて行かなくてはならない。その訓練が所謂日時計主義の生き方、トレーニングである。それは日常生活の中で具体的に良き事のみを見つめ、讃嘆し感謝して行く生き方でありそれは自分で意識して心掛けて行かなくてはならないのである。そしてそれが訓練となり潜在意識に善き事、嬉しい事、感謝が満たされて行く様になれば悩みなどは消えてしまう。どんな境遇に立たされても常に感謝に心が満たされ、悩みとか不安とかとはまるで縁のない境涯に至る。所謂無畏怖の境涯である。

 もし、心が悩みに満たされて脳細胞が損傷しそれによりノイローゼになっている人がいたとしてもこの日時計主義で日常良い事のみ見つめ感謝して行く習慣を身につけて行くならば破壊された脳細胞は修復され、ノイローゼ、精神病も回復するのである。 

堀 浩二
by koujihori | 2016-12-01 09:10 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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