相手、ものごとの光明面を観るということ

 「全ての人、もの、ことの光明面を観て、暗黒面を観るべからず。」というのが生長の家の信徒行持項目にあるが、それは表面の仮存在である現象を観ないでその奥の真実在であるそのものの実相を観るべしという事なのである。

  我々は現象がアルと思って、それを心につかむと真面目な人ほどそこに理想像即ち神とか実相を求めようとするから、それを良くしようと懸命になるのである。
 良くしよう、良くしようという心はその対象となるものの悪い面を良くしようという心であるから、その相手の悪をどうしても心につかむ事になるのである。その結果、善を実現させたいと強く念願する真面目な人ほど相手とかものとか事の悪を心に描いて相手を審くという事になってしまうのである。

 この現象世界は我々の心が映っている世界であるから我々が相手の悪を心に描いてそれを審いていれば、良くしよう良くしようと懸命に努力しているにも拘わらず、相手は悪くなって行くのである。
 
 そして、余りに良くしよう良くしようと思う心は心の裏ではまだ良くないー悪いと思っているから、そう思えば思うほど心に焦りが出て来て、自分自身が何かをやろうとしても好機を逃してしまい、うまく出来ないのである。

 我々は現象というのは単に我々の心が映っているだけの映像の世界に過ぎないものでそんなものは真実存在しないという事を知り、それをアルとして執着する心を解き放たなくてはならないのである。
 そして既に完全円満なる相手の実相を心の眼で観なくてはならない。生長の家ではその基本として「神想観」という瞑想を勧めている。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-12-16 08:19 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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