肉欲、物質欲を捨てるということ

 生長の家の聖典「生命の実相」には鶏の話が出て来る。それは鶏を両手でぐっと握って、そして地面に押しつけて、その目の前の地面に白墨で線を引くと、鶏はその目の前の地面に引かれた白墨の線を自分を縛る縄であると勘違いして、人間が手を放した後も、じっと身動き出来ない状態になるのだそうである。

 これは鶏の話で賢い人間様はそんなトリックにかからないと思うかも知れないが、あに図らんや同様のトリックにかかって自分の魂を縛り付け、自ら自由を失っている人はざらにあるのである。
 人間は目の前の白墨の線を実際の縄と勘違いはしないが、肉がアル、現象がアル、物質がアルと思うと、それが自分を縛る縄の様に感じられて、自由自在を失うのである。
 現象というのはただ我々の心が映し出した映像に過ぎないのであって、真に実在するものではないのである。
 
 だから、肉欲にふけったり、金銭欲、物質欲、名誉欲にふけると皆、魂が縛り付けられ、果ては地獄の苦しみを味わうのである。地獄とは具体的に存在する世界ではなく、自ら物質アリと迷いを描いて自己の魂を縛り付けている状態であるのである。
 
 そういう場合は一念発起して、肉ナシ、金銭ナシ、物質ナシ、全てがナイと一刀両断してしまうのが良いのである。そして、真の実在は自分の中にある神の国であるという事を心の眼でじっと観ずるのである。それが所謂、瞑想、神想観というものである。
 その時、自分を縛る障害、縄は消え(ナイーFREE)、魂そのままの自由自在、歓喜勇躍となる。
 そこに肉を追わずとも金銭を追わずとも名誉、地位を追わずともそのまま、今、悦びとなるのである。それが今、ここにある天国浄土、神の国を実感するという事である。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-12-22 08:13 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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