信仰は現象の諸問題により鍛えられる。

 色々な問題は自分の信仰を鍛え、より顕在化させるものである。
 生長の家をやっているのに色んな問題が出て来る事がある。家族の病気等々。しかし、それは既に自分が学び、かつ培っている生長の家の信仰をその問題を克服する事で鍛える作用があると思う。
 私は20年前に宇治の別格本山で榎本恵吾先生から薫陶を受け、今ここ完全円満の実相世界であり従ってあれこれあくせくして物事を良くする必要は無いという事を自覚した。 そして「そのままでよい」と分かり心が大安心の境涯に来られた。そのままでよいからと言って何もしない訳ではない。そのままは神だから神は無限生長だから時宜に応じて何をどうしたら良いかという事が内側から分かり、それを悦びの中で実行する事が出来る様になった。

 しかし、その信仰も日常生活の中で生じる諸問題でより鍛える事になる。要するに信仰は身口意に不断に実行する事が求められるのであり、悟りと行は同一のものであるとは雅春先生のお言葉であり、またその事が今年の全国幹部研鑽会のテーマになっていてそれがクラフト、自転車、家庭菜園という行として具体的な提案が為された。

 私に取って家庭や職場での一見深刻な問題は正に私の信仰を鍛えてくれるものであった。一見不幸な現象を目の当たりにしてそれが本当にアル事だと思っておののき、信仰を捨ててしまうのは生長の家の信仰者ではない。現象はナイそれはおのれの心の影でありその奥に今完全円満の存在があるというのが生長の家の信仰である。

 現象の問題が現れている中でそのまま現象ナシ、実相独在の信仰が鍛えられる。私も一旦は不幸な現象を具体的にアルと思い、全てを投げ出したい気分に駆られたのである。

 しかし、元々宇治で榎本先生に植え付けられた信仰はそれらの不幸を肥やしとしバネとしてより強固なものなって行くのを感じる。
 
 そして、そのまま今ここが天国浄土であり何の問題もナイ世界であったとまた改めて気がつくのである。

堀 浩二
by koujihori | 2017-05-08 11:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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