完全主義とは

 昨日、私は大発見をした。それはもう一年以上前から組み立てているサンダーバード2号のプラモデルで2号本体の付属品とも言うべき救助メカの中の組立に失敗した時の事だった。
 このプラモデルは毎週少しずつ部品が売り出され、このサンダーバード2号と救助メカシリーズは丁度80週掛けて完成される。今、67週目だ。

 で、昨日、その救助メカの一台の組立に失敗し、模型として不完全なものが出来上がった。救助メカというのは十何台もあり、一つ一つは手の平に載るような小さいプラモデルだ。今まで十何台というその救助メカを完璧に瑕疵なく組み立ててきたのに昨日、初めて失敗してしまったのだ。 

 その時、私は非常に歯がゆい思いをした。今までずうっと完璧に組み立てて来たのに初めて失敗作が出来てしまったからだ。模型本体に付属する十何台もある小さな模型の組立に失敗しただけなのに。

 そして、私は自分が完全主義者であるという事を認識した。完全主義であると不完全だととても気持ちが悪い、嫌になってしまうのだ。いつまでもモヤモヤしてやる気が無くなってしまう。しかし、その時、その考えこそが自分の人生を不幸なものにするという事を悟った。
 完全主義というのは現象即ち外の世界に完全なものを求める主義の事でこれだと心の安定が得られない。そして完全にしよう完全にしようという衝動が出て来て落ち着かないのである。その心は利己主義であり我(が)である。
 そして、それはこの世には不完全あり、悪ありという自己の迷いの心なのである。その迷いの心があるから不完全を現象世界に映し出す。そしてそれが不運とか不幸になるのである。思ったら思った通りになる心の法則が働いているからである。

 この世に悪あり不完全ありの心が完全主義の正体であり、それは聖経「甘露の法雨」に書かれている
「神の国は吾が内にのみあり、外にこれを求めるものは永遠にこれを得ることあたわず」という事なのだ。

 神の国は吾が内にありというのは今ここそのままで神の国であり自分は神の生命そのものであるという自覚である。それこそが生長の家の信仰であり、それが無くて現象要するに外の世界に神の国を求めるというのが迷いの心でありそれが完全主義である。

 私はそういう心を今まで持っていたから現象的に不幸や不運が出て来ていたという事が昨日、プラモデル創作の過程で分かったのだ。

 だから、私は完全を求める心を放っておいて今を生きる、今与えられている事に感謝する心のトレーニングを昨日から開始している。

 この様に日常の何気ない所至る所に観世音菩薩の教えは響き渡っているのである。

堀 浩二
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by koujihori | 2017-05-10 17:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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