聖典の言葉尻にとらわれてはならない。

 聖典の言葉尻にとらわれるな。無形、無限の真理の一つの現れとして聖典の真理の言葉があるのである。本当の真理は文字の奥の無形、無限のものであり、そこから現象化する際、色々に限定された形としての言葉となって出ているのであり、その色々の有限の言葉が組み合わされた真理の言葉の曼荼羅により、その奥の無形の真理を悟って行くのである。
 生長の家はこうして色々と有限の言葉を立てて、これを組み合わせてその有限の言葉の奥の不立文字の真理を読者に悟らせる事に成功したのである。しかし、やはり、形に現れた一つ一つの真理の言葉は真の無形の不立文字の真理そのものではないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2017-07-27 10:44 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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