御利益信仰

 宗教を信仰するのにそれを何か病気治しだか何らかの恩恵にあずかろうという考え方で信仰している人がいる。
 こういうのを所謂、御利益信仰というのであるが、こういう考え方は最初はいいが、それが段々と「これでもか、これでも御利益が出ないか」という感じになって来て、本来の悦びの信仰にならないのである。だから、その感謝のない、要求のみの、不満だらけの心により、やればやるほど、自分が期待した治病とかその他の御利益は得られず、却って自分はまだ足らない、まだ駄目だ、だからこの宗教の行をやるのだという気持ちになり心に平和がますます無くなって来て、その本人の不安の心通り、ますます不完全な現象が出て来て尽きないという事になる。

 重ねて言うが自分がこういう行や訓練をやったら健康とか富とかの御利益が来るからやるというのでは御利益信仰である。
 自分の間違った行いから病気やその他の不幸が起こって来るのはそれが間違った行いであり、考え方であるという事を神様が教えて下さっているのであり、それによって自分の考え方、行いを反省する為のものであり、反省し、改めたらそれで良いのである。
 
 それをその改めた事により、何か御利益を期待するというようでは駄目である。 自分が人生経験により正しい信仰に目覚め、正しい行いを知ったら、それをただやったら良いのである。ただ自分がそのままで完全円満な神の子であるという事を悦んだらいいのである。それをただ信仰する、そしてその通りの行いをやる、ただその事が悦びであり、尊い事であるというのが本当の信仰である。

 その時、この現象界は我々の心の影であるから、そうしたただ悦びの、ただ感謝の、ただ与えたい愛の心になった時にその人の健康他のあらゆる境遇が素晴らしく良くなる。

 堀 浩二
by koujihori | 2006-02-15 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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