女について

 この事は私が男性だから、男性から見たテーマとも言える。だが、これは男性に取って、特に宗教的求道者の男性に取って真剣かつ永遠のテーマと言えるものであると思う。
 所謂それは女に対する姦淫の欲望というものをどう扱うかという事であるがこれはある意味、とても重要な事であり、単なる下ネタと流せない事だと思う。

 世間にはよく女遊びにうつつを抜かしているような男もいるようだが、男として女性に対して如何に付き合うかという事は大変重要な事であり、決して軽々に考えてはならない事である。

 私は女性に対して肉体的な事を要求する場合、決して遊び感覚でそれをやってはならないと思っている。今は亡きあの今東光和尚が言っていたが「女に接吻するからにはその女の一生を面倒見る覚悟を持て」という事には全面的に賛成である。

 人間特に男には性欲があるからそれを適当に満たす事はもちろん必要である。しかし、それが時と所と人の三相応を得なくてはならないのである。きちんと法律によって認められた夫婦間において、適当な時に適当な場所においてそれを満たすならばこれは人事処三相応を得ているので悪ではない。しかし、それをしないで女に性愛を求めるのは良くないのである。

 女に執着するのは勝手だが、執着すれば、心がとらわれ、自由が無くなるから、苦しいのは自分である。妻以外の美しい女には性欲で執着するのではなく、その美しさを神から来る美として愛でるがよいのである。そして、相手を神の子としてその人格を尊重し、人格的交流、会話を楽しめばよい。

堀 浩二
by koujihori | 2006-03-03 08:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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