人生の試練

 生長の家では人生というのは学校であると説いている。即ち、我々は肉体そのものではなく、肉体の奥にある肉体を超えた永遠生き通しの神の生命であり、それは円満完全であり、その円満完全さをこの現象世界に肉体を通して表現するのがこの人生であり、そして人生はその表現の為の学校であると説くのである。
 
 その人生学校を通して、自分の完全円満さを悟って行き、その悟りに応じて、その内在の素晴らしさを現して行く。それはたかだか70~90年の一回きりの人生ではその素晴らしさを完全に現し切れないので、我々は何回も何十回も生まれ変わって行く。 

 そして、その人生学校の学びというのは全力と真剣さという事がどうしても要求される。この人生を何の課題も無く、適当にただ、のんべんだらりと生きておれば、何十年生きたからとて、それは無駄な人生なのである。
 我らは神の子として無限の可能性を秘めた存在として、この人生に生まれて来たからにはその素晴らしさを探究し、現し出さなくてはならないし、その為には命懸けの真剣さが必要なのである。

 そして、この人生は我々の心がそのまま具象化したものであるから、我々は自分に全力を出させ、おのれに自分の中の完全円満さを現し出させる為に自らの心の力で自分に人生の試練を創り出し、それを自分に課すのである。
 そんな事はその本人は表面の心では自覚はしていないけれども、その人の心の奥底の神性が自分の神性を発現する為にそうした人生の試練を自らの心で創り出す。

 だから、この人生における、一見不幸に見える難題、即ち病気、倒産、離婚等々は全て、自分が自分に出した問題である。自分で出した問題であるから必ず自分で解けるのである。

 自覚の高い、高度な神性を自ら自覚していて、それを現し出そうとする人の魂ほど高度な難問を自分に課す。しかし、前述の様に自分に丁度良い問題だけ自分で創るのであるから、解決出来ない問題は決して与えられないのである。

 そして、自分のこのままで完全円満な生命を自覚したものはその自覚を実行する為の厳しい問題、試練を自ら、創り出すのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-04-04 17:39 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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