何故、人生問題があるのか。

 ニール・ドナルドウォルシュというあるアメリカ人の書いた本で「神との対話」という本がある。1,2,3の3巻あり、その他に「神との友情」というような続編もある。

 私は書店でこの本のタイトルに引かれ、手にとって立ち読みしたが、最初はちょっとこれはまゆつばものではないかと疑っていた。というのはこの著者は神と称する霊と対話して、それを筆記して本にしている様だが、神と称して、実はくだらない低級霊だったりする場合があるからである。

 しかし、数ページ立ち読みした時点でこれは中々の内容であると判断した私はさっそく第1巻を購入して読んでみた。するとこれが本当に素晴らしい内容なのである。そして、すぐに第2巻・第3巻と購入してあっという間に読破してしまった。

 その本の中で「神」が著者との対話の中で唱えている数々の言葉の中にこういうものがある。それは人間がこの世界で色々苦痛や迷いを体験するのは真理を悟ったり、魂が癒されるという事を体験する為であると言うのである。
 即ち、元々霊の世界では完全円満で悟っている人間がこの現象界でその悟り、または完全円満さを体験するという事は迷いの状態、又は不完全な状態をまず体験し、それが悟る、または癒されるという事を体験する事で本当にそれを体験する事が出来るというのである。

 私はこの事は真理であると思う。私は先月で47歳になったが、今まで、精神的な内面の葛藤というものがけっこうあり、それで不自由な思いもしてきた。
 他の人はあんなに気軽に色々人生で力を発揮し、楽しんでいるのに何故、自分だけこんな苦労をしなければならないのかと思って来た。しかし、今思えば、自分の今までのこれらの苦労、不如意というのは全て、自分がこのままで完全円満な神の生命であったという事を如実に体験する為のものであったという事が分かったのである。
 その事が次第に分かって来ると自分の人生には何も無駄な事が無かった、表面的にどんなにつらくとも全て、意義ある事であったという事が次第にはっきりとして来た。

 正に今までの迷いは「悟る」為のものであった。その事は生長の家創始者、谷口雅春先生の御著書「神真理を告げ給う」にも書かれている。そこには神様の言葉で迷いが何故あるかという事に対する答えとして「迷いは悟りの基礎工事である。」とはっきり記されている。

 何故、恐ろしいもの、試練を自らの心で映し出すかと言ったら、恐ろしいもの、試練は本来ナイという事を如実に悟る為である。従って、悟りが出て来る時はどうしてもその前段階として迷いが出て来るのである。
 
堀 浩二
 
by koujihori | 2006-04-14 09:41 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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