現象はナイ

 生長の家の根本の教えというのは「人間は神の子である。」という事である。人間は神の子であるというのは現象の人間の事ではなく、実相、即ち現象の人間の奥にある霊的実在の真の人間の事であり、それは完全円満であり、不老不死の永遠不滅の生命であり、それを神の子というのである。
 
 そして、神の子の人間ばかりが暮らしているのが実相世界という霊的実在世界であり、そこには一切の悪、矛盾、罪、不完全、病気は存在しない完全円満の世界である。
 そして、その実相世界のみが本当に存在する世界であり、それは全宇宙の隅々まで拡がっており、この現象世界というのはそれの投影に過ぎない影の世界である。その事を「実相独在」というのである。

 その完全円満な実相世界というのはどこにあるかと言うと、肉体死後にあるわけでもなく、遙か西方にあるわけでもなく、今、ここにあるのであり、我々人間も今、このままで神の生命であり、それにより我らは生かされているのである。それを見出す事が所謂「悟り」という事であり、その悟りを得る為に古今東西の求道者は血のにじむような宗教的修行をして来たし、今もしているのである。

 そしてこの現象世界というのは我らの心の自覚が映っている世界であるから、本当に実在する世界は霊的実在の完全円満の実相世界であり、そこに住む人々は完全円満の神の子でいい人ばかりであるという事を悟るとその自覚が投影されて、現象世界がその通り、完全円満なものとなって行くのである。

 現象はそういう意味で本来ナイのである。しかるに我らの感覚器官はこの現象世界を感知するように作られており、またそれを実在するかのように感ずる様にも作られているから、普通、無自覚に生活しているとこの感覚器官で感知しているこの現象世界を真に存在する世界として生活する事になるのである。

 しかしながら、その様に現象をアルと勘違いしたままの状態であると悩みと恐怖心が出て来るのである。
 自分の過去を振り返るに恥ずかしい思いで一杯になるという人は沢山いると思う。あの時、あんな醜態をさらしてしまった、あの時、あんなひどい事をあの人に言ってしまった。あの時、あんな罪を犯してしまったと自分の過去の現象に引っ掛かれば、我らは悩みと罪の意識で一杯になるのである。

 しかるに生長の家の真理は現象はナイという事なのである。生長の家の人の中には教えを誤解して、信仰すれば現象が良くなるから現象を良くする為に生長の家を信仰する人がいるがそれは間違っているのである。生長の家は現象ナシの教えであるから現象を良くする教えではなく、現象はナイと一刀両断する教えである。
 現象はナイ。現象に引っ掛かるな。現象を良くしようとするな。そして、ひたすら完全円満な実相のみを観よ。そして、それは今、ここにあるという事を悟れ。
 過去の失敗した現象の自分はナイ。不完全な自分、そして不完全な相手はナイ。

堀 浩二
by koujihori | 2006-04-19 09:34 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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