トラウマ

 我々の意識というのは心理学によると現在意識というものと潜在意識というもので成り立っているということである。
 現在意識というものは現われている意識という意味で自分ではっきりと意識している意識であり、潜在意識というのはその下に潜在した意識であり、表面に現れておらず、俗に言う無意識で働く意識の事を言う。
 そして、我々の意識の殆ど95%がこの潜在意識と言われ、現在意識はわずか5%と言われる。それはよく生長の家の講話でたとえ話される所の意識というのは氷山みたいなもので氷山というのは上に現れているのはその一部に過ぎず、現在意識というのはその氷山の一角みたいなもので大部分の意識は潜在意識として水面下の氷山の様に隠れていると教えている。

 そして、我らの運命とか肉体の状態は我らの意識に左右されるのであるから、我らが幸福に、健康になるには現在意識だけを良いものにするのでは足らず、潜在意識を清まった良いものにしていかなくてはならないと生長の家では教えているのである。
 それでは潜在意識を変えるにはどの様にしたら良いかと言ったら、潜在意識というのは現在意識の繰り返しにより、刻印されて行くのであるから、良い思いをする練習とか良い行いをしていく事が後々と潜在意識を良い、清まったものにして行く事が出来ると教えている。
 我々が何かスポーツとか稽古事でも繰り返し練習をやって行けば、徐々に上達して行くのも同じ道理である。

 そして、潜在意識というのは幼少期の体験とか心の思いというものが深く深く沈殿しているものである。
 幼少期というのはその人の一生の人格形成の為に大変重要な時期なのである。幼少期に愛されなかったり、いじめられたものは成人になってから中々他人を愛せなかったり、またその人自身が他人や子供を虐待する様になる。
 またスポーツその他の稽古事でも3,4歳の幼児期からやるとそれが深く当人の潜在意識に刻印され、素晴らしく上達する。

 だから、人間は幼少期を如何に過ごすかという事で殆ど一生が決まってしまうと言っても過言ではない。
 幼少期に親に虐待を受けたり、その他の心の傷を負うと(大体はこれは親兄弟から受けるのであるが)それが大人になってから心の病となってその人の一生のハンデとなってその人を苦しめたりする事がある。
  そうなると幼少期に心に傷を負った者はもうどうしようもないのかと思うかも知れない。実際、そうしたトラウマを本人が成人してから克服するのは並大抵の事ではない。しかし、だからと言ってどうしようもないという事では決してない。 
 
 我らの抱えている全ての問題というのは実は本来ナイのである。それは勝手に自分が心で描いて映し出しているに過ぎない。そして、それは自分が実相を悟る為に自分で自分の運命を過酷なものにして、問題を作り出し、それにより人生において真剣に真理を探究するのである。
 
 我らは本質は神の生命であり、それをこの人生というカンバスにおいて表現する事を念願しているのである。そして、我らの生命の実相である完全円満の神の生命が自ら創り出した人生問題で真摯に道を求めるという過程を通して、我らの生命の実相自らの力でその素晴らしさを表現しようとしているのである。
 従って、我らの生命の実相の素晴らしさ、完全円満さが表現出来る様になり、悦びに満たされる時が必ず来る。それが悟りという事であり、実相顕現という事である。
 
 その時、我らを苦しめていた具体的問題が自ずと消滅する。如何なる具体性を帯びた問題であろうともそんなものは神がお作りになっていないから本来存在しないのであり、それはただ我らが心で自らこの人生に映し出したものに過ぎないから、我らの心が悟って、実相の完全円満さが出て来れば、自ずとあらゆる具体的問題は消滅する。
 それはあたかも闇が光により、一瞬の内に消滅するかの如くである。
 
 その時、その人は今まで自分を苦しめていた問題の原因がどこにあったのか具体的に知る事が出来る様になる。問題を解決する為にはその問題の原因をつきとめて、これを解決する必要があり、その為に潜在意識の奥深く沈殿した自分の病気の原因、問題の原因を探る必要があるが、我らの中の実相の生命が自ら出て来て、悟りが啓ければ、その様に自ずと自分の問題の原因を知る事が出来るのである。そして、そうした自分の考え方、心は間違っていたと自ずと反省出来る。
 例えば自分の心の病の原因が幼少期に家族の誰かから受けた心の傷にあるとはっきり分かるのである。そして、その心の傷の原因となっている自分の考え方、思いというもの自体が間違ったものであるという事も分かる。
 何故なら、その自分を傷付けた相手は本来は悪い人ではなく、自分の前世からの迷い、即ち人間は虐待をするような恐ろしい存在であるという自分自身の生まれる前から元々持っていた迷いがそうした意地悪な家族を自分の幼少期において自分自ら、創り出していたという所まで自ずと分かるからである。
 
 それは我らが自分自ら創り出した人生問題で真剣に生長の家をやったり、その他真摯に道を求めて来る中で我らの悟りが動いたから、そうした自分の潜在意識そして、それを形成させた幼児体験、そしてその幼児体験のトラウマが間違ったものであり、この世界には良い事、良い人しかいないと一瞬の内に悟るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-04-27 14:03 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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