師について

 私は生長の家の地方講師をしている。地方講師というのは大体が主に生長の家の信徒の自宅を開放してされている生長の家の信徒の会、誌友会という会で一時間ほど、生長の家の真理の講話をするのである。この講話に出かける事を出講するというのであるが、生長の家の行事で生長の家の講師として、生長の家の真理の講話を誌友(誌友会の参加者)に対して行うと普段の弱い、又は我(が)の強い自分はどこかに消え、自分でも驚く様な素晴らしい深遠な真理の話をしている事が多いのである。

 それは一旦、生長の家の誌友会という生長の家の行事が生長の家の招神歌(かみよびうた)という祈りで始められるからにはそこで講師として話しをするという事は肉体の自分ではなく、生長の家の運動を司っている生長の家の大神の働きにより、その講話がなされるからである。

 しかし、私の所属している神奈川教区下の色々な誌友会に出講しに行くとまるで講師の講話を聞く態度のなっていない誌友がたまにいる。それは特に男性の年配者の誌友に多いのである。
 私は47歳と生長の家の地方講師としては若手の部類なので、そうした男性の年配者の誌友は私の事を自分より若輩の講師が来たという事で「この若造が」という様な態度で始めから聞く耳を持っていないのである。
 こんな人にはいくらこちらがいい話をしても馬の耳に念仏である。こうした人は生長の家の真理を観ているのではなく、47歳の若輩者である肉体としての私しか見ていないのである。
 相手が自分より若輩者であろうが、一旦、生長の家講師として誌友会に出講して来た相手に対してはそれを師として観て、その教えを素直に聞くというのが肉体ではなく、生長の家の真理を観る者の態度である。

 これは生長の家に限らず、何に対しても言えると思う。相手が自分より年下であろうが、自分が何かを勉強、又は習得しようとしている時にその指導者として自分に相対している者に対しては肉体の年齢など関係なく、それを師として奉るのが当たり前である。
 私などはテニススクールに通っているが、コーチは私よりずっと年下の若者であるが、テニスを習っている時はそのコーチを私は師として奉って敬語を使っている。そうでなければ真理はこちらに流れ行って来ないのである。

 私はそれなりに生長の家の真理を勉強し、ある程度その神髄を会得していると思う。しかし、私は生長の家の信徒又は地方講師である以上は私の師は現在の生長の家の中心者である生長の家総裁、谷口清超先生であり、生長の家副総裁、谷口雅宣先生である。
 私は両先生のご指導を素直に受ける。それは私が両先生の肉体を見ているのではなく、両先生の奥に流れる生長の家の真理を観ているからである。両先生を通して生長の家の現在の生きた真理、そして運動の展開が為されるのである。

 私はある非常に重大なテーマに関して自分独自の考えを持っていたが、それが生長の家副総裁、谷口雅宣先生のお考えと異なる事があった。その時は正直、私は困惑した。だが、私は心を静かに素直にして、自分のそれまでのその事に関する考えが本当に正しいか自問自答した。
 そして、自分なりにそのテーマに関して勉強し直している内にそのテーマに関して谷口雅宣先生のお考えの方が遙かに自由でかつ思いやりがあって、実際的であり、そして何より真理であるという事に自ずと気付いたのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-05-25 11:34 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by yukie sakai at 2006-05-26 02:25 x
 堀さん、おひさしぶりです。 酒井です。 素直な心の他に信仰を深める道は無いのですね。
  堀さんの前回の「師について」のご教授のおかげで、私の環境が大きく変わりました。 (ケミカライゼーションも含まれていますが(^^)      長女が「足元から平和へ」の学園祭展示をした事を全国大会で紹介していただきました。 長男も雅宣先生の御講話はすごい、寝ている人が多くてけしからんと言って、たのもしいかぎりでした。  しかし 交通事故でリハビリ中だった最愛の主人が医療ミスで再手術、さらに重症になりまして、私は看病の為、講師活動を休止しました。 主人への感謝を深める素晴らしい時間をいただきました。 ようやく明日、退院出来るんですよ。
三ヶ月自宅療養でリハビリです。 死んでいてもおかしくない事故だったので、右足だけで済んで良かったです。 主人がいてくれるだけで、何もいらないです。 これが本当の「主人にハイ」なのね。  と、母親教室の出講を再開するのも楽しみです。 
 
Commented by koujihori at 2006-05-26 09:28
幸江様

 コメント有り難うございました。この文章は幸江さんに読んで頂きたくて書いたと行っても過言ではないです。だから、コメント頂いて幸甚の至りです。

 お嬢さんが全国大会で発表されたんですか。すごいですね。私は青年会の大会は行ってませんので知りませんでした。また息子さんも雅宣先生の素晴らしさがお分かりなのですね。本当にいいお子さん達をお持ちで素晴らしいと思います。

 若い子は素晴らしいですね。真理を素直に受け取る事が出来るのですから。我々大人もこのような素直で清い心を持ち続けたいですね。
 それには人間神の子の生長の家の真理を真摯に穿ち入る以外ないですね。

 ところでご主人が大変な事故に遭われた事、お見舞い申し上げます。幸江さんもご看病で大変ですね。でもその状態でも感謝が出来る幸江さんは本当に素晴らしいと思います。夫婦生活というのは楽しいと共に本当に魂の勉強ですね。現在の状態がお二人に取ってよりお互いの絆、愛情をお深めになると確信致します。お大事になさって下さい。

堀 浩二
Commented by yukie sakai at 2006-05-27 01:39 x
 励ましのお言葉に心から感謝します。  

あの重大なテーマの時、堀さんが素直に困惑を表現されていて、凄いな、と思いました。
  雅宣先生は自由で思いやりに満ちていらっしゃる。 私も心の底から、そう思います。   小閑雑感と日々の祈りは、一対の神様からのメッセージだとおもいます。 以前はどちらも違和感があって、読むと苦しかったのです。 それは唯、 自分がカルト的に生長の家をマニュアル化していたにすぎず、雅宣先生のブログは、信徒が自分自身に自分でかけたマインドコントロールを解いてくださっているのではないでしょうか。  その事に気がついて、雅宣先生の日々の祈りを拝読させて頂くと、そのやさしさ、暖かさにびっくりしました。 

 長女は、発表してません。活動紹介のとき、展示内容と写真を紹介されました。 候補には上っていましたが、本人より展示内容の方をみていただきたかったので、よかったです。

Commented by koujihori at 2006-05-27 09:01
幸江様

 私が困惑されたシーンを具体的にご存知なのですか。小閑雑感をくまなく読まれているのですね。
 確かに幸江さんも言われている通り、我々は知らず知らずのうちに形式にとらわれてそれが真理だと誤解してしまう所がありますね。だから、それを打ち破る様なご指導があると自分が正しくて先生が間違っていると錯覚してしまう所があると思います。

 それを打ち破る先生のご指導はやはり住吉の大神のお働きだからだと思います。

堀 浩二
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