神様とつながる事の大切さ

 私は母親の影響で生長の家の信仰に幼い時にふれ、生長の家のお祈りとか生長の家のお経である「甘露の法雨」などに子供の頃から親しんできた。
 そして、高校生になってから生長の家の高校生練成会に参加し、その後、生長の家青年会に入り、現在に至っている。
 その間、創始者の谷口雅春先生が昭和60年にお亡くなりになって、その後、二代目の谷口清超先生の代になり、現在は三代目の谷口雅宣先生が副総裁として全国で行われる講習会などの御指導を中心に実質的に生長の家の組織の運営に当たっておられる。

 しかし、代替わりする度に何だかんだと難癖を付けて、生長の家から離れる人がいる。その理由は二代目の谷口清超先生や三代目の谷口雅宣先生の運動のやり方、説き方が創始者の谷口雅春先生とは違うからという事らしい。しかし、信仰の運動というものは神髄とその具体的表現、展開とがあり、神髄は永遠不滅のものとして一貫しているが、その表現や展開は時代時代によって、自由自在に変化して行く。 生長の家の組織の中心者が代替わりして、その真理の展開の仕方が時代に応じて変遷した場合、真理の展開の仕方自体が真理そのものであると思っている人達は真理そのものがねじ曲げられたと勘違いして、生長の家を離れるようである。これは誠に残念な事である。

 しかし、何故こんな事になってしまうかと言うと、それはひとえに神様を第一にしよう、神様の御心に耳を傾ける事を第一にしようという純粋な信仰姿勢が欠落しているからであると思う。人間は神の子であるから、神様と離れる事は実相の本当の世界においてはないのであるが、それを悟っていないと現象的に神様と離れる事になる。

 そんな人が生長の家から離れていくと思うのである。生長の家の本の「菩薩は何を為すべきか」には「生長の家の信徒は神意につくべきであって、決して人についてはならない」という事が書いてあるが、こういう生長の家から離れる人は真理、神を第一にしているのではなく、正に現象の人間、例えば自分を指導してくれた何々先生とか誰々さんにつき、その人が生長の家をやめたと言ったら、芋づる式に自分もやめてしまうのである。
 こういう現象人間につくから現象、言い換えれば真理の表現、展開の仕方にもつくのである。

 私は普段殆どこの手のサイトは見ないのであるが先日、たまたま私の文章が紹介されたサイトがあると知人から教えてもらったのでそのサイトを覗いてみると、現在の生長の家を自分の勝手な判断で好き勝手に批判する数々の匿名の文章が書かれているのであった。
 それは一見もっともらしいような文章もあったが、何かが違うという事が私には直感的に分かるのである。それは神様につながっていないという事である。
 こんなのを所謂、外道というのだろうが、一見理路整然としてもっともらしいのだが、私が見るにこれは偽物であるという事が分かる。いくら頭脳明晰みたいでもっともらしくても神様につながった智恵に導かれていないととんでもない間違いを起こす。

 私は以前、ある重要な事に関して独自の考え方を持っていた。独自と言っても、私は自分の読んだ本とか自分の周りの人の意見を鵜呑みにしていた事を自分独自の考えと思っていたのではないかとも思うのだが、ともかくある自分の意見を持っていたし、同じ考えの人達の集会にも参加した。
 しかし、生長の家副総裁谷口雅宣先生の御文章により自分の考え方の間違いを自ずと修正する事が出来た。今となっては自分が以前に何故あんな考えを持っていたのだろうと不思議な位だ。

 でも、昔、生長の家にいたが、生長の家を離れて行った人の中にはまだ私が一旦陥った重大な間違いを正しいと信じている人が沢山いるのである。その人達と私の違いは何かと言ったら、神様とつながっているかいないかの違いだけなのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-07-12 09:54 | 信仰 | Trackback | Comments(1)
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Commented by 竹村正広 at 2006-07-12 17:16 x
合掌。
ありがとうございます。メール、ありがとうございました。こんな立派なブログを立ち上げていたなんて、全く知りませんでした。堀さんの能力はスゴイ!これからもたまに遊びにきますね。
                     
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