真の愛行とは(2)

 以前にも、ここに書かせて頂いたが、生長の家では「愛行」の尊さを説いている。生長の家で大事な行として「神想観」「聖経読誦」「愛行」の三つがあり、これを三正行と言って、生長の家の信徒が励行すべきものである。

 ところでこの三正行の一つの「愛行」だが、これが中々難しいとされていて、愛行の中で一番尊いものが相手に生長の家の真理を伝える事であると教えられている。だが、日常生活の中でこれを実行するのは中々大変で勇気と忍耐の要る事であるのは言うまでもない。

 こういう時、これも生長の家の教えだが、小さい事からやって行く訓練をしたらいいのである。自分に出来る事で何でもいいから愛の行い、人の為になる行いをするのである。これが形から入るという事であり、こうした小さな愛行を地道に日常生活の中で重ねていけば、いつかは本当の心のこもった愛の行いをする事が出来る様になる。

 ところで私は生長の家をやって久しい。子供の頃から母親のお陰で生長の家のお祈りとか誌友会と言われる生長の家の信徒の勉強会にも親しんできた。そして、47歳に至る現在までお陰様で生長の家をずうっと続けさせて頂いている。
 私は青年期は生長の家青年会に入り、その組織活動もして来て、どちらかと言えば、愛行はベテランであると思っていた。自分の時間とか資金を人類光明化の為に捧げるという愛行がもう習慣づけされているから自分は愛行が完全にマスター出来ていると思っていた。

 しかし、私は割合最近、自分がひどい利己主義者で我が儘であるという事を発見した。お恥ずかしい話だが。
 その経緯についてはちょっと人前でとても発表出来るものではないので省略させて頂くが、ともかく私ほど自分の事しか考えない人間はいないと心の底から実感し、反省したのである。

 しかし、その瞬間から私の愛行というものが形だけのものではなく、本物になって来たと思う。というのは以前は人の手伝いをしなくてはならないという時、人を助けなくてはならないという時は心の底から本当に悦んで、自発的にやっていたかというとそうでもなく、そうしないと世間体が悪いから、そうするのが筋だからという感じで愛行していたと思う。

 しかし、私が自分が利己主義者で自分の事しか考えていない人間であったと如実に実感した瞬間というのはやはり、私の自覚が変わった瞬間だったのだと思う。
 私は口では自分と他人は神において一体だから他人に対する愛行が大事であると唱えてはいたが、それが本当の実感とはなっておらず、心の奥底からの実感ではやはり自分は肉体であり、個体であり、自分と他人はバラバラな存在であると信じていたから、自分だけの事を考えていたのだと思う。

 でも私の中の悟りが進み、真に自分が神の子であり、自分と他の人達は神において一体であるという悟りが出て来たから、それまでの自分が利己主義者であったと実感出来たのだと思う。
 そうすると今まで日常生活において、人助けとか人のために動く、働くという事が本当はやりたくないが、仕方がないから、世間体があるからという事でやっていたのが、人の為に働く事がごく自然で悦びの中で出来る様になって来た。
 これが本当の「愛行」であると思う。「愛行」は本当はつらい行ではなくて楽しいものであったのである。人に笑いかけ、親切にするのが真の悦びとなり、人の成功を我が事の様に悦べるのがごく自然に出来るのである。
 そしてそういう生活こそが心の底から楽しい、嬉しい生活である。利己主義の頃は常に不安で心が平和でなく、他人が伸びるのがつらくて仕方が無いものである。
 生長の家の聖典「生命の実相」に書いてあるが人間は自己の本性が悦びそのものだから、それが解放されて来れば、悦び一杯の生活になるのであり、人間の本性というものは神において他の人達と自他一体であるから真に自他一体を生きた時、魂が解放され、心の底から悦べる生活になるのであるとある。

堀 浩二 
by koujihori | 2006-07-27 13:30 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by yukie sakai at 2006-08-01 02:27 x
堀様

 私は堀先生のこのプログのおかげで、どんどん運命が好転しています。 ありがとうございます。 信じられないほど元気になりました。 気力だけで生き抜いているような今までの苦しみがうそのようです。 

心から感謝します。
Commented by koujihori at 2006-08-01 09:11
幸江様

 お役に立ててなによりです。でも私は悦んでいるだけなんです。ちなみに私にこの自覚を与えてくれ、救って下さったのは去年亡くなられた宇治で祈願部部長をされていた榎本恵吾先生です。
 先生に関する文章は去年の10月6、13日に載せてありますので良ければ読んで下さい。

Commented by yukie sakai at 2006-08-03 02:51 x
堀様

 榎本先生の素晴らしさは宇治のHPを拝見しても伝わってきますね。 私の親友は10年前子宮がんで亡くなりましたが、亡くなる直前までご夫婦で宇治の研修生として修行していました。 親友からいかに榎本先生が素晴らしいかよく聞かされました。 今は霊界で榎本先生にお会いできているといいのですが。

 私は宇治に研修で何度も行っていますが、練成を受けたのは、21歳の時に一度だけで榎本先生とご縁がありませんでした。 ご縁があれば苦行のような経験をせずに済んだかもしれませんね。
Commented by koujihori at 2006-08-03 09:16
幸江様

 〉親友からいかに榎本先生が素晴らしいかよく聞かされました。

そうですか。その方も今は霊界で救われていて自由な境涯におられると思います。

〉ご縁があれば苦行のような経験をせずに済んだかもしれませんね。

 幸江さんの生長に取っては幸江さんの今までの人生が最高のものであったと思いますよ。




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