実相を観る(3)

 私は近頃大変重大な事に気が付いた。私は昔から不正が嫌いで組織の中で全体の為にならない変な事をしている人間がいるとそれを批判し、排除し、正義の味方になる様な所がよくあった。

 私は自分を正しいと思っていたし、自分が排除した相手は悪い奴だと思っていた。そして、割合、その批判の目は自分の属する組織の責任者に向けられる事が多かった。そして、私は悪いのは相手で自分は正しいと信じていた。
 
 ところでその私の悪を憎む心、批判する心は我が国で自分と比較して一番偉い人、即ち総理大臣に向けられる事が度々あった。それは具体的には小泉純一郎首相の事であるが、私はそもそも郵政民営化なんてものは外国資本に利するだけの愚かな政策であると思っていて、それで小泉首相をかなり批判していた。そして、皇室典範の改正問題にしても、それを改悪と批判していたのである。
 そして、その当時の私のお気に入りの首相候補は今をときめく安倍晋三内閣官房長官であった。この様な気骨もあり、日本を真に愛している人なら日本を任せられると思っていた。だから、早く小泉にやめてもらって、安部さんの時代が来ないかと思っていた。

 しかしながら、皇室典範の改正について、その後、生長の家副総裁谷口雅宣先生のご指導がきっかけで私の考えが徐々に変化して来て、小泉首相の推し進める皇室典範の改正案に大部理解が出来る様になった。
 そして、時勢は以前の私の希望通り安倍氏が次の首相にほぼ当確となって来たら、今度は安倍氏に対して一種の危惧を私は持つようになってしまったのである。安倍氏の皇室典範の改正に関する考えは私の考えが変わる前の考えとほぼ同じだからである。

 そこで私はようやく気が付いた。これらの現象は本当に存在するのではなく、私の心の影に過ぎないと。要するに私は常に自分の上に悪の存在があると思いたかったのである。その巨悪を常に批判する事で自分が偉いと思いたかっただけだったのである。そういう心を持っていれば、誰が自分の上に来ようと常にその人の悪い面を見て、批判する様になるのである。

 生長の家では現象は現れているだけで本当の存在ではないと説く。即ち、この縦横厚みの三次元の現象世界は言うなれば、立体映像みたいなもので本当の存在ではないというのである。それならば本当の存在とはどこにあるかと言ったら、それは現象の奥というか、中というかそうした所にある。しかし、それは空間的な奥とか中ではない。本当の存在、即ち物質を超えた霊的実在世界は空間そして時間さえも超越しているから、空間的、三次元的な奥とか中に存在するのではない。他に言いようがないから、仮に奥とか中とか表現しているに過ぎない。

 その霊的実在世界、それは宇宙に遍満している完全円満な神様が創造されたやはり完全円満な世界である。それは現象、空間、時間を超えて、宇宙の隅々までやはり遍満している。神がお造りになった実在世界と仮に言うが、それは神御自身の拡がりそのものである。即ち、この宇宙に遍満しているのは完全円満、永遠不滅、無限の智恵、愛、生命なる神そのものであり、それのみが本当に存在するものであり、それは今、ここに我々の中に存在し、我々否、全ての生きとし生けるもの生かし、ありとしあらゆるものを完全な調和した姿であらしめているものである。

 そして、この現象世界はその完全円満な神の世界、実相世界の表現の世界であり、我々人間の自覚の程度の映る世界でもある。その本当の神様の実相世界の完全円満さをどれだけ自覚しているかという事でこの現象世界、表現の世界に本来の完全円満な神様の世界がどれだけ表現されるかと言うことが決まって来る。

 従って、この世界を本来の平和な調和した世界に出来るかどうかは、我々人類がどれだけその本来の神様がお創りになった完全円満の実相世界の存在に気付き、悟り、自覚するかに掛かっているのである。

 そういう意味で我々は現象の悪を見て、悪があるとか悪い奴がいるなんて思ったらいけないのである。現象的に悪い人、悪い事件が起こっても、それは過去の我々人類の「悪はある」という迷いが映っているだけであるとし、本当の人間は本当の世界はどこにも悪人もいなければ、悪とか不幸があるなんて思わないで、その奥の完全円満の実相世界のみがあるという事を悟らなくてはならないのである。

 悪は存在しない。それは自分で勝手に心に描いているだけだ。自分の前に現れている悪は全て、悪があると思いたい自分の心が描いたのである。
 即ち、自分を信じる事が出来ず、自分に自信が無いから、人を悪く思って、批判して、人を低めて、自分をそれと比較して偉いと思いたいのである。その心が人の悪を心に描き、その通りの悪人を現象世界に映し出すのである。それが愛の不足という事であり、利己主義という事であり、その利己主義と自信の無さから他人からますます信用されないという事につながるのである。

 自分を完全円満の神の子であると信じ、自信を持つ事である。そして、悪はナイ、それは自分の悪を思いたい心が映しているに過ぎないと知り、相手の悪い面ではなく、良い面を観て、感謝する事である。それが全ての道徳、思いやり、そして真の世界平和への道である。

堀 浩二
by koujihori | 2006-09-08 21:16 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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