丑三つ時は最も暗い(2)

 私は朝風呂に良く入る。というのは夜はビールを飲んでテレビを見ながらひっくり返っているとそのまま寝てしまうか、そうでなくてもかったるくて夜は風呂に入る気がしないからである。

 そこで今朝も朝風呂に入ったが、そこで私は重大な真理を知らされた。それは風呂の天井の蛍光灯がスイッチを入れた後、数分間チカチカ光ってそれがなかなか収まらなかったのである。多分、蛍光灯が故障しているからだと思うが、完全にパッとつかないでその手前でしばらく力無くチカチカしていた。その間、風呂場内は全体がチカチカ光って、ちょっと不快な落ち着かない感じであった。
 私はその間、ずうっとそのチカチカ光る蛍光灯を浴槽に入りながら、見つめていた。そうしたら今までチカチカ力無く光っていた蛍光灯がとうとう光が完全に消えたのである。しかし、そう思ったらその直後、パッと今までとは比較にならない様な明るい光となり、それきり、正常に本来の蛍光灯の明るい光が安定的に灯り、部屋は明るく快適な空間となった。

 私はその時、はっと思った。スイッチを入れた数分間、蛍光灯は力無くチカチカしていたが、完全にその光が消えて、真っ暗となった直後、パッと正常に光が灯り、きちんとついたというのはこれは人生と同じだと思ったのである。

 努力し続けたことが本当に開花したり、長年の苦労が報われる時、又はものごとが本当に良くなる時というのはこの様に本当に良くなる直前が一層、悪くなる時なのである。
 それはいくら努力しても何となくうまく行かないで冴えない状態、おもわしくない状態がしばらく続き、それどころか一層、一番悪くなる時が来る。大抵の人はこの時にもう駄目だと思って、ものごとを投げてしまう。
 しかし、実はこの一番悪くなる時というのは本当に良くなる時の直前なのである。何故なら、この蛍光灯の様に本当にパッと明るくなる為には一旦、真っ暗にならなければならないからである。テニスや野球などでも一番、効果的な打撃を加える時は一旦、バックスイングと言って、ラケットやバットを引かなくてはならない。ラケットやバットを後ろに引くという事で初めて、その戻る反動の力で効果的なスイングが出来る。

 それと同じで一番ものごとが絶望的で悪くなる時というのは本当の飛躍のそれは実にその為のテニスや野球でいうバックスイングなのである。蛍光灯も本当に明るくつく為には一旦、真っ暗にならなくてはならない。

 誠にも人生というのはそういうものなのである。私は子供の頃から長年生長の家を触れて、どうにかやって来たが、それに行き詰まって、本当に真っ暗闇になって、もう駄目だと思った直後に最高の悦びの悟りを得る事が出来た。それ以来、約十年、色々紆余曲折はあったがずうっと悦びは続いている。

 今、世の中ではいじめの問題とか履修漏れの問題とかで生徒ばかりか先生も自ら生命を絶つなんていうニュースを良く耳にするが、人生を投げる前にもうちょっと辛抱して、頑張ってもらいたいと思う。必ず道は開けるのである。
 何故なら、人生というのは全て自分の心が作るものであり、如何なる人生問題であろうともそれは具体的に存在するものではなく、自分自身が作った自分自身の生長の為の問題であるから、必ず解決出来るからである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-11-09 22:12 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by yukie sakai at 2006-11-09 23:31 x
蛍光灯で真理に思いをめぐらせられるなんて。素晴らしいですね。 私の友人もついこの程、病気でもう立ち上がれないと思いましたが、俄然立ち上がって無限力を発揮しています。いつの間にかみんなが生長していくのですね。
Commented by koujihori at 2006-11-10 11:43
幸江さん
 いつもコメント有り難うございます。ところで改めて申し上げますが、幸江さんのブログでご主人との馴れ初めからご結婚に至ったお話、本当に感動致しました。
 でも、それを以前は劣等感にされていたとの事、そして今はその事に心から感謝出来る様になられた事、本当に素晴らしいと思います。

 私は生長の家で心の法則と言って、思ったら思った通りになるからなるべく悪を思わない様にしましょうと言われますが、私は悪は我々の心の力でも決して作る事が出来ないものである思います。全てが始めから祝福された事であり、悪い事は一つも無いのを我々の心が歪んでいるとそれを歪んだものと認識してしまうだけであり、それを悪を思ったら悪が出て来ると仮に言っているのだと思います。

 世の中には一つも悪があった事は無いし、これからも無いと思います。だから我々の心の歪みが取れたら、過去の同じ事実でも今までは劣等感に感じていたものが実は神の祝福であったという事に気付くのだと思います。

堀 浩二拝
Commented by yukie sakai at 2006-11-10 23:03 x
堀先生
劣等感にしてたのは、霊光を受けた事です。カルト宗教なら祭り上げられそうですよね。でも何故、神は霊媒に懸からないはずの生長の家で自分が霊媒体験をしなければ成らないのか。自分の経験している事の奥にある神様の導きを理解できなかったんです。何故?とばかり考えていました。神様の愛をそのまま受ける屈託のない、素直な心が自分の本心だと知った今、自分の経験が神様の御愛そのものだったと感謝できました。
Commented by koujihori at 2006-11-10 23:42
幸江さん

 本当にただ祝福申し上げます。榎本恵吾先生は自分がこれが神様だと思った事はそれを百%信じて良いと仰っておられました。
 神様の性質というものは何かと言ったら、これが心地よいもの、受け入れられるもの、祝福出来るものということがその特性だと先生は仰っておられました。幸江さんがその霊光に神様の快さをお感じになられたのならそれは神様であるのですね。

堀 浩二拝
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