真の愛行とは(4)

 生長の家では愛行という事の尊さと大切さが強調されている。今の世相を見るにつけ、その多くの人が自分可愛さという事を第一にして行動しているようである。だから、世の中が乱れるのである。
 愛行とは自分の利己主義で動くのではなく、自分の事は二の次にして人の幸福の為を第一に考えて行動する事である。だから、現在の乱れた世相ではこの愛行という事が非常に重要になってくるし、世界平和も自国の事ばかりを第一に考えているから軍拡競争になり、北朝鮮が核兵器を持ったら、それに対抗して我が日本国も核兵器を持つべきだなんて考えも出て来る。でも我が国が核兵器を持ったら、韓国や台湾などでも自分達もという事で核の連鎖が起こるであろう。

 話は横道にそれてしまったがこの様に自分より相手の為を思って行動する事が言うまでもなく大変重要な事であり、そしてこの愛行こそが生長の家の人間神の子の悟りを啓く為の重要な要素という事になる。

 さて、先日、生長の家講習会が横浜アリーナで生長の家副総裁の谷口雅宣先生のご指導により行われたが、そこで先生はある参加者からの「人間が神の子で善であるならば何故悪事を犯すのか」という質問に対し、「人間は何か他からの強制ではなく自分の意志で自発的に進んで善を為してこそ、それを本当の善行というのである。だから、自分の意志で悪を犯す自由も与えられている。」というお答えであった。

 生長の家は「こうでなくてはならぬ」というとらわれを解放する教えである。人間は人がやるから、こうしなくてはいけないからという理由で仕方なしに善をしている様ではまだその善の行い、愛行は本物ではないのである。それは自分は本当はそうしたくないのだが、外側から強迫され、強制されて仕方なくやる愛行である。それは「願無き行は仏の魔事なり。」という教え通り、本当の愛行ではない。

 我々はそのままで何ものにも外側から強制されなくても内側から人に尽くしたい、愛を与えたいという思いがあふれ出てくるのである。何故なら我々は内側に善なる愛なる無限の神がおられるからである。
 それは常に内側から人をただ愛したい、人にただ与えたいという愛念が溢れて来るのである。それが自ずとほとばしりいづるのが真の「悦び」というものである。こうでなくてはならぬという冷たい義務観念ではなくて、そのままでいて、内側から自ずと湧き出て来る神の愛の心を活かす愛行はそのまま悦びである。そうした愛行こそが真の愛行である。

堀 浩二
by koujihori | 2006-11-14 08:56 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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