真の愛行とは(5)

 今回はちょっと生長の家の組織の活動をしている人を対象にして申し上げる内容になってしまうので、そうでない方はちょっとご勘弁下さい。

 生長の家の会議とか決起大会で誰か活動者が壇上で決意発表する時にその締めくくりとして「私はこれから人類光明化の為に身を粉にして全身全霊頑張ります。」などと発表するが、私はそれがどこまで実際、そんな事が出来るのだろうといつも疑問に思っていた。我々生長の家の組織の活動者は生長の家の組織活動ばかり朝から晩までやるわけではなく、仕事もやらなくてはならないし、家庭生活もあるし、趣味だってしたいだろうしといつもそんな事を考えていた。
 全てを生長の家の人類光明化運動に捧げますなんて実現不可能な嘘ではないかと思う反面、でも本当はそうしなくてはならないとも思うし、でもそんな事は自分にはとても出来ないとも思っていた。

 私は子供の頃から母親の影響で生長の家の信仰に触れていて、大学3年生の時から生長の家の青年の組織である生長の家青年会に入った。
 そして、池袋単位青年会委員長というお役を頂き、その後、光明実践委員という青年講師の資格も取らせて頂き、その後、中高生育成指導部長、それから教区青年会委員長、そして光実議長と青年会のお役は一通りやらせて頂いた。

 私は生長の家の教えは人類全体に伝えるという事が当たり前の生長の家信徒としての道であり、だから、組織に入って、伝道活動をするのは当然であると思っていたのだった。しかし、そういう正義感というか使命感のかたわら、やはり大学生の時代とか社会に出てからも色々生長の家の組織活動以外に自分のやりたい事が沢山あり、私はテニスとか野球とかスキーを大学の時に始めたのでそれをやりたくて仕方が無かった。
 だが、人類光明化運動を寸暇を惜しんで自分の時間と資金を捧げてやらなくてはならないと青年会の研修会などでよくたたき込まれたのでそうした自分の趣味とか遊びなどの生長の家の活動以外の事に時間と金を使う事が何か罪悪の様に感じられた時期が割合長く続いた。
 頭では人類光明化運動の為に全てを捧げなくてはならないと思いながら、感情的にそれ以外の自分のやりたい事をやりたいという衝動との狭間で随分苦しみ、人類光明化運動に捧げきれない自分自身を審き続け、どうにもならない状態になった事もある。

 しかし、その後、宇治の生長の家の道場で私の生涯の師、榎本恵吾先生の薫陶を受けて、「自分の中に神の国がある」という事に目覚めてから、自分の中のそのままの希望を生かすことがそのまま神の希望を生かす事であるという事に気が付き、それからは素直に自分の中の希望、やりたい事を伸び伸びと伸ばす生き方をするようになった。
 人類は自分が気張って救おうとしなくても既に神様が救っておられる。全ての罪も既に神様が消して下さっている。ああ、有り難いという事に気が付いてから、私に大安心と心の底から悦びが生まれ、そして何か脅迫的に義務感でやらされる活動、行動ではなくて内側からほとばしる真の悦びの感情、本当にこれがしたいという心で愛行が出来る様になったのである。
 自分の本当にやりたい事を自由に自分の個性を生かしてやって行き、心から悦ぶ事が真の生長の家の運動である。

 従って、私の愛行、人類光明化運動というのは生長の家の教化部に行って、組織の会議や研修会に出たり、何かの行事の参加促進をしている時だけではなく、今、そのまま一日、24時間全てが生長の家の活動である。趣味のテニスをしている時も、会社で仕事をしている時も、地元の仲間と野球をやっている時、英会話の仲間と共に学んでいる時、そしてたまにその仲間と飲みに行く時、全ての時間が人類光明化運動である。何故なら私は「人類光明化運動」そのものであるからである。
 そしてその自覚を得る事がそのまま人類光明化運動に全身全霊を捧げるという事であると思う。

堀 浩二 
 
by koujihori | 2006-11-20 22:35 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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