一切は自分の心の影

 昨日は児童虐待の事にちょっと触れた。戦後アメリカから押し付けられた憲法や教育が日本人のアイデンティティーを骨抜きにし、肉体の権利ばかり強調するものであるから、現在の様な状況を引き起こしたと書いた。
 しかし、私の友人に昨日の文章についての感想を求めたら、彼女は児童虐待というのは自分が虐待された経験を持つ親がするのじゃないかと言ってきた。確かにその通りである。
 虐待するのは人間の生命の尊さが分かっていないからであるが、それと同時に自分の中に心の傷があって、それで思わず、子供に当たってしまうという親も多いのである。多かれ少なかれ誰でもそういう経験はあるのではないか?
 
 従って、子供を虐待してしまうのは自分の中に自分自身が子供の頃に親から虐待を受けたという記憶が潜在意識にインプットされていれば、本人は本当はそうしたくなくても、思わず虐待してしまうのである。
 何故なら、人間はこれは良いことだから、やろうとかこれは悪いことだから、やめておこうという理屈で動けるものではなく、それが良いことだろうと悪いことだろうと自分の心の中にある事を自動的にしてしまうものだからである。それは潜在意識という所に深く刻まれていて、潜在意識というのは普段意識していない無意識部分であるがそれは表面の意識している現在意識の下層に存在していて、現在意識が意識全体の5%とすればその潜在意識は実に95%を占めるのである。
 だから、表面の意識でこれは良くないことだからやめようと思っていても、潜在意識に児童虐待という記憶がインプットされていれば、自分の意に反して、気が付いたら我が子に手を上げていたなんて事になるのである。

 だから、人間は信仰という事が大事なのである。信仰とは人間とは、この世界やこの宇宙の本質とは何かという事を見極める根本哲学である。そこで人間は本来完全円満の神の生命そのものであり、この世界は本当は神の智恵と愛と生命が充ち満ちている完全円満の世界で悪は本来ナイのであり、この悪と矛盾に満ちた現象世界は本当の実在世界ではなく、我々人類の認識が映っているだけの世界であるという信仰、哲学を持たなくてはならない。
 そうした正しい信仰、認識を持てば、やがてその人の心が変わり、潜在意識に人間は本来立派なものであるという考えが刻まれる。そうなると自動的にその人の行動が変わる。そして、自ずと人を愛さずにおれない、人を幸福にしたくて仕方がないという気持ちになるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-11-30 16:52 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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