一切は自分の心の影(2)

 前回、児童虐待してしまう親は自分の心に傷があり、自分自身が虐待を受けた経験があるから、それが本人の潜在意識に深く刻まれていて、自分自身が親になった時、自分の子供にも自分が受けたと同様の虐待をしてしまうという事を書いた。

 この様に人間というものは表面上の心で動ける部分はごく僅かで、大体の人間の行動を司るものは意識全体の95%を占める潜在意識によるのである。
 そして、この潜在意識に多大な影響を与えられる時期は幼少時である。だから「三つ子の魂百まで」という諺があるのであり、幼少時にどんな教育を本人に施すかという事が非常に重要なのである。ピアノとかテニスなどは4歳位から始めると天才的な上達の仕方をするし、言葉も同様である。それは幼児というのは心がとても柔らかで受ける教育を素直にそのまま受け入れるからである。
 そして、幼少時以上に大事なのがお母さんのおなかの中にいる胎児の時であると言われる。この時期は親の思念の影響を非常に受け、母親がいつも快活で愛深い気持ちでいれば、それが胎児へ良い影響を与え、その子は素直で愛深い聡明な子になるだろう。
 逆に妊娠した時、中絶しようかなんて両親が話し合ったり、考えたりすれば、胎児に取って深刻なマイナス影響があり、そんな子が生まれてきても、常に落ち着きが無く、両親に反抗的な子供になってしまうのである。
 だから、幼少時に親に虐待されたり、苛められたりすれば、その子の心の傷は非常に深いものになり、その子が大人になって、精神的障害、例えば高所恐怖症とかその他の神経症を引き起こしたり、その他前述したように自分自身が子供に虐待をまたする様になってしまう。
 
 しかし、今まで述べたのは心理学的考察であり、これを知っただけでは人間は本当に救われる事は出来ないのである。何故なら、自分が今、精神的ハンデ例えば神経症などであって、それが自分が幼少期に親から受けた心の傷が原因であるとすれば、その人は親を許すことが出来ないであろう。そんな事であれば、その神経症はますます悪くなって行くであろう。
 何故なら、自分の親というものは自分の生命の根本であり、その根本を否定し、恨むという事は自分自身の根本と人生を否定する事になるからである。
 生長の家の根本的真理は一切の現象は本来存在せず、それは自分の心の影であると説いている。即ち、そういう意味では例え、自分の親と言えど、それは自分の心が造りだしたものなのである。

 人間は肉体ではなく、永遠生き通しの生命であるから、何回も生まれ変わるのである。そして、自分の現世の運命は前世の時にどんな気持ち、考え方で暮らし、行動して来たかという事で大体決まって来る。
 自分が前世で神を信ぜず、人を疑い、憎み、苛めるという行動をしていれば、その人は次の生まれ変わりの人生を自分のそうした不調和な心で創り出すのである。即ち、自分の心の通りの親の元に生まれ、そして自分の心の通りの親により、幼少期に虐待されるという事になる。
 だから、自分は親に幼少期に虐待されたから心に傷を負って、歪んで、精神的障害が出たなんて言うが、それは間違いで全て自分自身が引き寄せた事であり、言い換えれば自分を虐待した親は本当は存在せず、全て自分自身が生み出したものに過ぎないという事になる。
 一切は自分の心の影なのである。本当に悪い親はイナイ。自分自身の心が元々、前世からの業によって、神を信じない、歪んだ憎しみに満ちたものであったのである。

 それを直し、正しい信仰に目覚める為に我らは人生学校において、色々勉強するのである。ひどい親みたいに見える親はその為のかけがえのない教師である。我らはそうした親に感謝する修行、行をする過程で、神の国を自己の内に見出すのである。
 我らがそうした人生学校に於いて、真の信仰に目覚め、一切の現象は存在しないという事を悟り、自分自身の完全円満なる実相に目覚め、自分の中の神の国を見出せば、その心を反映して自分の虐待した様に見える親も実はそのままで有り難い、愛溢れる親であったという実相が自分に明らかになるのである。
 その事に気付かせてもらう為に我々はこの人生学校に何回も生まれ変わって来るのである。その中で真に神の国を見出す悦びに目覚めるために自分を子供の頃に虐待する様な親の姿をして、神様は現れるのである。

堀 浩二
 
by koujihori | 2006-12-04 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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