善行について

 生長の家副総裁、谷口雅宣先生が言われた事であるが、善の行いというのは何かと言ったら、自分で進んでやる良い行いの事である。

 ゴミを拾ったり、地球環境の為に良い事をやるというのも何か外側からの圧力で仕方なしにやらされる行いだったら、それは奴隷の重労働や賦役と同じであり、本当の善行ではない。
 外側から何か強迫者により強制されるばかりでなく、自分自身の罪の意識、自己処罰の観念で善行をしてもやはり価値は無い。それは自分の内側からの神の生命の悦びの振動から来る悦びの善の行いではなくて、自分という存在の外側から来る恐怖心で強迫的にやらされる行である。
 
 自分を罪あるものとしてそこから来る自己処罰観念を誤魔化す為に善行しても仕方のない事である。今、このままで自分に罪ナシと観じ、伸び伸びとした心、悦びの心で進んで良い事をするようでなくてはならぬ。
 罪の意識とは大抵は恐怖心から来るのである。恐怖心とは神を信じられない心、即ち神に任せられない心である。自分を保身する心である。それは自分をそのままでは罪ある者、神から祝福されない存在で罰を受けるべき存在であると思い込み、その贖罪観念から来る恐怖心である。即ち罪滅ぼししないと罪の報いが来るという恐怖心である。
 神を信じ、自分が今、完全円満であるという事を信じ、そして、その考えの元、自分を捧げ、捨身する心になれば、恐怖心は消える。そうすると自己処罰観念は消え、それによる強迫的な善のまねごとをしなくなるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-12-14 13:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/4375370
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< その時の事はその時の自分に任せる 無限力ということ >>