天国への階段(2)

 「天国への階段」という話がある。それは天国というものが今、ここにあるのではなくて、天国というものは自分の遙か上空の高さにあり、そこに到るには天国への階段を一歩一歩、注意深く昇っていかなくてはならないという考え方である。その階段を自分が努力して、注意深く必死に足を踏み外さない様にして、一つ一つ昇って行くと段々天国の入口が見えて来るが、後、一歩という所でちょっとした気の緩みから足を踏み外して、奈落の底に墜ちてしまうという話である。

 これと同様に宗教をやる人の中には自分が神の国に入る為に日々、善行を積み重ね、宗教的修行に励み、決して罪を犯さない様に注意深く、暮らしていけば、やがて、神の国に到達出来るだろうと思って、毎日、あくせく努力している人がいるが、こういう人に限って、後一歩の所でちょっとした肉体の誘惑や自分の激情に負けたりして、墜落してしまうのである。

 しかし、これはどうしてそうなるのであろうか?それはその人が本当の真理を悟っていないからである。天国即ち、本当に存在する完全円満の実相世界というのは自分があれこれ、切磋琢磨して、そのお陰でやっと到る事が出来る所にあるのではなく、今、このままで我ら一人一人の中にあるのである。それは今、ここがそのままで天国、神の国、完全円満なる実相世界であるという事である。これから、天国に到るのではないのである。今、既にここが天国であり、神の国である。それが観えないのは自分の眼が曇っているのである。それを観る為の行が生長の家の神想観である。

 我々はよく自分はあんな失敗をしたから、人生に失敗したとか、あんな罪を犯したから、自分は幸せになれない、天国に到る資格が無いなどと言うが、それは皆、間違いである。それは皆、自分と神の国、天国というものを分離したものと考えているからである。
 そういう考えの人は自分を天国に到らせる為に自分を良くしようとするのであるが、そう考える事が既に自分と神の国を分離させる考えである。だから、我々は今、このままで神の国にいて、全ての罪が神により、消され、完全円満な存在として赦され、祝福されているのに拘わらず、勝手に自己限定して、自分はまだ駄目だ、まだ罪があると思って、一所懸命、良くなろう、罪を消そう、罪を犯さないようにしようとあくせくするのである。しかし、結局、その心の通り、自分に罪を起こさせ、病気を引き起こし、堕落せしめるのである。それが後一歩の所で天国への階段から落ちるという事である。

 自分はまだ神の国にいない、まだ駄目だ、まだ罪がある、良くなろう、罪を消そうという心は今の自分は悪であり、罪人であり、失敗者であると認める心であるから、その心通り、本当は今、このままで神に祝福され、愛され、全ての罪が消されているのに、罪ある姿、失敗する姿、病気ある姿が現れて来るのである。何故ならばこの現象世界は我々の認識が映っている世界であるからである。

 ちょっとしたうっかりミスで奈落の底に墜ちてしまうなんて事は神様の世界には無いのである。神様は我らの過ちを赦し、罪を消して下さるのである。だから、有り難いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2006-12-19 17:53 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented by yukie sakai at 2006-12-21 01:44 x
親和の法則ですね。今此処が天国だと認めれば顕れる。在るものを顕すことが使命。顕す方法を学んでいくのが生長の家。母親教室出講講師勉強会で今日学んだ言葉です。
私は素直な心で素晴らしいことを素晴らしいと観じて表現したいから堀先生のブログにコメントさせて頂いています。これも親和の法則の活用でしょうか。
Commented by koujihori at 2006-12-21 09:14
幸江さん

 本当にいつもコメント有り難うございます。幸江さんは真理を素直に素晴らしいと認めて、それを勇敢に表現出来るんですね。
 神奈川の川崎まきこさんに幸江さんの事を聞いたら、無茶苦茶明るくてパワーのある人だって言ってました。

堀 浩二拝
Commented by yukie sakai at 2006-12-22 00:18 x
とても真面目で思慮深い面も在るのですよ。と、まきこ様にお伝えくださいませ(笑)
実名でブロガーになって居ること事態勇気の居る事ですものね。堀先生を見習って良かったです。
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