悪に刃向かうな

 組織にはいわゆるマベリックとコウディレクターという二種類の人間が居るという。マベリックとは自分勝手な行動で組織全体に悪い影響を及ぼす者の事を言い、コウディレクターとは組織全体の事を考えて、行動し、組織に良い影響を及ぼす者の事を言う。
 マベリックとは別名腐った林檎とも言われ、腐った林檎を一つでも林檎箱の中に入れておくと徐々に周りの林檎も腐って行くのであり、それと同じ様に組織に対し、良からぬ思いを抱き、かつ周りに影響力を持つ人間が居る事で周りの人間がその人間のマインドコントロールを受けて、その悪い影響が拡がって行くのである。
 それはまた癌細胞にも似ている。癌細胞は体全体という組織に生じ、肉体全体の事を考えず、無制限に身勝手に自己増殖を続けて、そして自分が巣くっているその人の肉体全体を終いには滅ぼしてしまう。しかし、その事でその癌細胞自体も滅びてしまうのである。それは正に中心帰一を忘れた者の末路である。

 私は色々の組織に属して来て、そうした事態を何回も目撃して来た。そうした時、吾らはどうしたら良いのだろうか?
 この者は組織全体の為にならないから排除しようと強制力を持って、排除するのが正しいのだろうか?
 生長の家の教えで「悪に刃向かうな。」というのがある。目の前に展開している悪を実在するものと考え、それを除去しようとすれば、それは悪の存在を認めている事になるから、除去しようとすればするほど、事態は収拾がつかなくなり、どうにもならなくなるのである。
 悪に刃向かわない事である。放っておく事である。悪は実在ではない。吾らの心の影に過ぎない。つかまないで放っておけばその内、消える。しかし、それは今、目の前の事に対して何もしないという事ではない。悪はナイ、悪人はイナイと心で認め、かつ、自由自在に状況に応じ、時に応じ、人に応じ、自由に内側からのインスピレーションに従って、言うべき事を言い、やるべき事をしたらよいのである。
 キリストは全ての人を神の子として愛していたが、神殿で鳩を売る輩に対しては鞭を持って、それを叩きだしたと伝えられている。

堀 浩二


Don't struggle against a evil

It is said that there is a two kind people in organization. The one is a person who don't think a benifit of whole organization which he belong to; and do egoistic action and has a bad influence to other people, The another is a person who think a benifit of a organization which he belong to; and dedicate himself for a organization; and has good influence to other people.

The former is called as rotted apple. If you put a rotted apple in a box which is filled with a dozen of apples, several other apples also become rotted. As this example, if there is a person who has a anti thinking to a organization which he belong to; and has some power of influence to other people in a organization, other people would be controled by the person and a bad influence would spread in a organization.

A rotted apple is similar to a cell of cancer. Cell of cancer is born at a body. Cell of cancer do not think about a whole body, and it proliferate egoistically and infinitively;and destroy a whole body; and also die for itself. It is the end of a person which forget to return to a centor of a whole organization.

I had been watcing such a story a several times. If you encounter such a situation, what action should you do? Is it right that you get rid of such a evil person because such a person has a bad influence to others?
Seicho-no-ie doctrine teachs that do not struggle against a evil. If you try to get rid of a evil in front of you with some idea that the evil exist, you could not get rid of the evil; and the situation would be stucked. Because you think that the evil exist. As what you imagine as existence appear into a phenomenon, a evil which you imagine as a true existence never disappear nontheless you try to get rid of that hard.
You should not struggle against a evil and should have that to be as it is. Evil do not exist. That is only a reflection of your mind. If you do not grasp that with your mind, that would dissapear automatically and graduatelly.
But it does not mean that you should do nothing in front of a evil phenomenon. You should not only admit that there is no evil and no evil person in this world, but also act a right thing in accordance with a situation with your inspiration.

Jesus Christ drove away some marchant who sell doves at a shrine with a whip.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-02-22 13:40 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2007-03-03 23:38 x
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Commented by koujihori at 2007-03-05 08:53
H様

 コメント有り難うございました。確かに悪を放っておくという事にこだわっても駄目だと思います。心は悪を放っておいて、つかまないという事は何もしないという事ではなく、実相のみ観る中から我々の中から神様の働きが適宜に我々の行動に出て来て、臨機応変にその場、その時、その相手に応じた処置になるのだと思います。

 生長の家の神示にも「鳥が巣作りをするのは自分が冬になって凍死する事を取り越し苦労しているからするのではなくて、何となく内側からの自然の催しに従ってするのだ」とありますよね。

 大体、生長の家が光明化運動をするのもこのままでは人類が絶滅するという悪を何とかしなくてはならないと取り越し苦労しているからではなくて、善一元の神の国を悦ぶ中から自ずとそれを実現する為の働きが内側から悦びとなって出て来た事が生長の家の人類光明化運動であると思います。

Commented at 2007-03-05 20:14 x
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Commented by koujihori at 2007-03-06 08:53
H様

 自分の周りに起こる事が自分とは関係がないなどと思っていませんが。

 自分の周りに起こる事が自分の心を映したものであるからこそ、そんなものは本来の実在する悪でないとして、それを何とかしようと心でつかまないという事です。
 つかまないどころか自分の心を映してくれる鏡として有り難く思わなければならないですね。
Commented at 2007-03-06 13:02 x
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