神様がお出ましになるということ

 私は前回の文章「わたしたちの教科書」で自分の欠点が他人にどう思われているかが余りにも気になるというのは利己主義だからだと書いた。確かに自分の事ばっかり考えているから自分の欠点が肥大化して自分に感じられるのであり、それを他人がどう見てるかが気になって仕方が無くなるのである。

 ところで私は実は以前は正にその種の人間であったのである。自分がどう人に思われているか、自分の失敗を他人がどう見ているか、馬鹿にされていないだろうか、蔑まれているのではないかという事をかなり心配する性分であった。そして他人が自分よりも優れた才能を発揮していたりすると非常に嫉妬したものである。要するに私は他人に自分がどう思われているか、又は他人が自分より優れていたりすると非常に心配や嫉妬を感ずるたちの悪い人間であったのである。「あったのである」と過去形で書いているのはお陰様で最近はその性分を脱却出来たと実感するからである。
 利己主義で自分の事ばかり気にする、他人がどう自分を思っているか気になる、相手に勝っていないとくやしくて仕方が無いというのは利己主義であるからであるが、それはもっと根の深い所を探れば、その人の中の完全円満なる神、それは自立であり、自律であり、そのままで無限の勇気であるが、その素晴らしい神がその人に於いて、まだ顕現していないからである。
 
 人間は自分に自信があり、その自信を実行しているならば、結果とか現象とか相手からの反応、見返りなどどうでも良くなるものである。
 自分の中から神が出て来て、その神の営みのままに真理を実行しているという自信が出て来ると自分のやった事の結果とか相手がどう思うかとか自分がした事の結果が自分が相手より勝ったかどうかなんてそんな現象が一切気にならなくなるのである。
神とは勇気の事であり、捨身の事であり、思い切りの良さそのものの事であり、結果を一切気にしない心の事であり、相手からどう思われるかという事を一切思い煩わない心の事である。従って、神が自分の中から御自分で出て来れば、自ずとそうした勇気、潔い心が出て来るのである。
 神が御自分で出て来るというのは生長の家の人も耳慣れない表現であろうが要するに我々は元々、完全円満の神の子であり、完全円満であるから、その実相はじっとしておらず自己表現しようと自ら動き出す。それがこの地上に於ける吾ら一人一人の魂の人生学校での色々な試行錯誤となって現れる。そこで様々な経験、苦労を重ねる中で自己の生命の実相が完全円満な神の生命であったという事を様々な段階を経ながら発見して行くのである。それが人間の生長という事であり、生長の家で言う実相顕現という事である。それは元々完全円満である自己の生命が自分で出て来る、現れて行っている道程なのである。それを「神様が御自分で出て来る。」と表現するのである。それは私の師である榎本恵吾先生がお教え下さった事である。

 そしてその様に自己の中の神様が御自分で出て来て、自己の生命の実相が完全円満であると実感し、その営みのまにまに生きておれば、神は愛であり、捨身であり、勇気そのものであるから、自ずと他人が自分をどう思うかとか、他との競争での勝ち負けなどは一切、気にならなくなり、思い切って勇敢に自己を捧げて生きる事が出来るのである。

堀 浩二 

Appearing of God

I wrote that if you were selfish, you would become to mind how others see your fault or your failure too much in last writing named "Our text book". To be sure, as you mind yourself always, you feel your fault enormously and you become to mind how other person see you.

To be honest, I was a such a selfish person who mind myself too much. I always minded how others thinked of me and I was afraid of being insulted of my fault or failure by others. And when others perform better than me in some skill ,I became to be too much jealous. I was a such a not good charactor. But now, thanks to God, I am able to overcome such a evil charactor.
If you were too much selfish, you would become to mind how others think your faults or failures. But, the reason that you become selfish is that God which is perfect within you doesn't appear yet at you.

If you have a confidence that you are perfect and you act in accordance with your confidence, you become not to mind a phenomenon, a consequence, a reaction from others and a paying back from others.
If God of your inside appears and you become to have a confidence that you act in accordance with a guidence of God, you become not to mind a consequence which is produced by your action, a reaction from others and whether you overcome your opponent or not in consequence of competition with others.

God is a courage, a devotion, a not to mind a consequence and not to mind how others think of you. Therefore, if God of your inside appears automatically, you would become brave and not to mind yourself too much.

As real life of you is a son of God which is perfect, your real life cann't stay static, and that moves automatically to express its wonderful possibillity. The function appears as various efforts and trying of each school of life. At your school of life, you discover your real life as you go through a several expererience and hardships gradually. That's your growing and Seicho-no-ie teachs that such a growing is appearing of Truth of life. That is a process that your truth of life which is perfect from a scratch appears automatically. My best teacher Rev.Keigo Enomoto taught me the marvelous truth at once.

Thus, if God of your inside appear automatically and you realize that your real life is perfect and you live in accordance with a working of God, as God is infinite love, a devotion and a courage, you would become not to mind how others think of you and whether you overcome your opponent or not and to live bravely.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-04-17 10:06 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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