「引き」ということ

 テニスとか野球ではラケットとかバットでボールを打つという事をする。そして、効果的にボールに打撃を与える為には「溜め」とか「引き」という事が不可欠なのである。それはテニスのフォアハンドストロークであったら、バックスイングと呼ばれるもので、一旦、ラケットを引き、肩もこれから振り出す方向と逆方向に回すのである。そうした「引き」を打撃の正に直前に行う事により、最も効果的にボールに力を伝える事が出来て、威力のあるボールを打ち返す事が出来るのである。
 
 同様にこの人生に於いて何か素晴らしい力を出す、又は表現するという時、どうしてもそれと似た事が起こって来る。人間は本来神の子であり、肉体の奥に肉体を超えた霊的な完全円満の不死不滅の神の生命がある。それが我々人間の本体であり、それを生長の家では実相と呼んでいる。
 その完全円満の神の生命なる実相は無限の存在であるからそのままだと大きすぎて何ものにも知覚される事はない。要するにあるやらないやら分からない状態であるのである。そこでその完全円満の神の生命はどうしても自己表現を欲するのである。
 例えば無限の才能を持って生まれた画家が居るとして、その才能を持ったままで何も絵を描かなければその画家が悦べない。そこで、その画家は自ずと縦横二次元に限定されたカンバスに自分の才能を自己表現しようとする。
 同様に我々人間一人一人もそれぞれ神から無限の才能、完全円満の生命を頂いているから、それを無限次元のままでは表現出来ないので画家が縦横の二次元のカンバスに表現する様に我々人間はこの現象世界という縦横厚みの三次元の空間そして時間を足した四次元に限定されたこの現象世界にその無限の可能性を表現しようとするのである。そして、その現象世界は人生学校でもあり、我々はこの人生学校に入学して画家が稚拙な段階から自己表現して行って、徐々にその腕を上げる様に我々も人生学校において魂の幼い状態から徐々に自己表現の練習を重ねて行って、徐々にその完全円満の才能とか人格を表現して行くのである。
 しかし、人間というのは自己表現する為に正に一旦、どうしようもない状態を自ら心の力で作り出して、そこから立ち直る、良くなる、真理を実行するという形を取って、実相顕現するのである。その一旦悪くなる段階を所謂、冒頭に述べた「引き」と言うのである。

 だから、この人生に於いて様々な問題がある、難儀がある、迷いがある、苦しみがあるというのはそれらは全て自らの無限の素晴らしさを自己表現する為にそこから「良くなる」「悟る」という形を取る為にあるのである。それは自己表現する為の正に「引き」の状態なのである。そして、その表現する内容の素晴らしい人、深い人ほど、その「引き」の状態である迷いや問題も他の人より深く、難儀である。
 だから、「丑三つ時は一番暗い」とか「良くなる直前というのは一層暗くなる」と生長の家で教えているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-04-19 10:43 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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