心のレンズの歪み

 生長の家で説く真理には根本的に二つある。それは唯神実相と唯心所現である。唯神実相を縦の真理とも言い、唯心所現を横の真理とも言う。唯神実相とはこの現象世界は真に存在する世界ではなく、その奥の本当の宇宙には唯、完全円満の神が無限に拡がっているのが実相(本当の姿)であるという事であり、唯心所現とは現象世界とは我々人間の心が唯、現れている世界、即ち心の影の世界であるという事である。
 そして、我々人間の心が縦の真理、即ち唯神実相を悟れば、その心の通り、この現象世界にその唯神実相の完全円満の世界が投影されるのであり、世界平和が実現する為には、全人類に完全円満の唯神実相のみを感ずる歪みの無い心を持ってもらう事が大切であるということで生長の家の真理を全人類に伝えましょうというのが生長の家の人類光明化運動である。

 そういう訳で生長の家を勉強している人は自分の境遇とか肉体の病気を良くする為には自分の心を歪みのない正しい心、それを正念と言うが、そうした心になる事が必要という事でその為に一所懸命、行をやったり、祈ったりするのである。
 しかし、そういう考え方は本来のものではない。ここでも何回も申し上げているが生長の家の信仰で自分の問題とか現象を良くしよう、その為に自己の心を清めよう、歪みのない様にしようというのでは現象の問題とか病気をアルと認める事になるから、そんな事ではいくらやっても本当に良くなる事はない。

 生長の家の根本真理は実相独在という事である。それを前述した唯神実相、縦の真理と言う。それは本当に存在するのは完全円満の神のみであって、それは無限であるから全宇宙に拡がっており、我々人間はその神の全徳を受け継ぎ、それを表現する神の子であるという事である。
 従って、今、そのままで全く問題はナイのである。それなのに問題をアルと思って、その問題を消す為に自己の心を訓練で良くして行こうという発想では本当に自己の心の歪みが治る事はない。
 自己の心のレンズの歪みが本当に治るという事は自分の心のレンズが歪んでいるから本来の完全円満のものが歪んで感じられているだけであり、今、そのままで自己の心のレンズが歪んでいようが正しいものであろうがここに完全円満の神の国が存在していたという事を悟る事である。
 即ち自分及び自分の周りで起こっているトラブル、問題は自分一人の心のレンズが歪んでいる為にそう自分に感じられているだけであって、今、そのままで最初から何ら問題はナイのである。

例えば、父親を憎んでいる息子がいるとして、その憎しみはどこから来るかと言ったら、自分はその父親から愛されていないという思いから来るのである。それでは何故、そう思う様になったかと言ったら、それは幼い時から父親にガミガミ叱られたり、又は冷たくされたりという経験があるからそう思うのである。
 しかし、例えばその息子が重大な病気になるとか事故に遭うとかして、大変な事態になった時に初めて、その父親が息子の事を本当に心配して、駆け付けたりするのを目の当たりにするとその息子に初めて父親の愛情が伝わったりするが、これなども父親の愛情は始めからあったのを単に息子の心のレンズが歪んで、今そのままで愛情溢れる父親が愛情のない父親に息子に感じられていたのである。何も息子の念力の力で父親が冷たい父親から愛情溢れる父親になった訳ではない。
 
 同様に全ての悲惨な出来事は単に我々の心のレンズが歪んでいるから我々人間にそう感じられているのであり、元々完全円満な神の世界は始めからここにあったのである。
 その事を悟る事が実相独在の真理を悟るという事であり、それが分かれば自ずと心のレンズも正されるのである。それを現象をアルと思って、その為にその現象の悪を良くしようと思って、心のレンズを正しいものにしようというのは間違っている。本当に存在するものは完全円満の神の世界と神の子だけであって、現象など存在せず、それは単に自分の心が本来、完全円満の実在世界をどう感じるかという心の通りに自分に感じられているだけの世界なのである。

堀 浩二
by koujihori | 2007-04-27 10:06 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(0)
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