自分の歩みは神の歩みである。

 私が10年前に信仰に行き詰まって、どうにもならなくなって、生長の家の宇治の道場に導かれて行き、そこで私の生涯最高の師となる榎本恵吾先生に巡り会う事が出来た。その時、先生は私が今までどの様な信仰の歩みをして来たかという話を親身になって聞いて下さった。
 私は幼い時に母親により生長の家を伝えられ、大学生の時に生長の家青年会に入って色々、活動とか愛行をして来たが、信仰に行き詰まってしまったという事を全て、先生に打ち明けた。私は生長の家の信仰者として、完全に自分を捧げきれず、自分の我(が)と利己主義に勝てなかった落伍者であると言う劣等感をその時持っていたから先生からお前のここが間違っているから、あそこが本来のやり方でないから転落したんだ、もっとしっかりせいと指導されるかなと思ったら先生はそんな事は一切仰らず、「あなたが信仰し、愛行して来たのはあなたではなくて全て、神様がやっておられたのだよ。そのままで百点満点だよ。」と祝福して下さったのである。
 私は自分の行動が神の行動だったなんて言うことはその時まで夢にも思った事がなかったから、驚いたと共に何だかとても嬉しくなった記憶がある。

 我々は自分の人生を振り返るに、あの時、あんな事をしなければ良かったとか、あの時、あんな罪を犯してしまった、人を傷付けてしまった、自分は生長の家の生き方が十分に出来なかったとか、色々後悔したり、途轍もなく恥ずかしくなったりする事がある。
 それで出来れば、過去を変えたいとかやり直したいと考えたり、自分は罪深い駄目なものであると劣等感を持って、落ち込んだり、罪滅ぼししなければと焦ったりする。それでこれからは一所懸命、心を入れ替えて生長の家の生き方をするぞと気張っても、気が付いて見たら、自分の心を乱し、人を憎み、非難し、失敗し、そうなるとまた、ああまた失敗してしまった、心のコントロールがうまく出来なかった、駄目な自分であると落ち込むのである。

 しかし、実は自分の今までの歩みはそのまま神の歩みである。それがそう見えないのは自分の今の心のレンズが歪んでいるからである。我々はたった今、完全円満、無限力である。それがそう見えないのは今の自分の心のレンズが歪んでいるからである。
 現象が不完全に感じられるのは本当に不完全なのではなく、単にこの世界と自分自身を見る自分の心に歪みがあるから、本来完全な世界又は、自分自身が歪んだ不完全なものに感じられているだけなのである。
 そして、たった今、完全円満、無限力の自分自身が病気が現れていたり、能力を十分発揮出来ない姿に自分に感じられているのである。そして、自分自身の人生の歩みは今、そのままで神の歩みであり、何も問題も失敗もナイのにそれを見る自分の心に歪みがあるとそれが選択ミスだらけの不完全極まりないものに感じられているに過ぎないのである。

堀 浩二
 
by koujihori | 2007-05-07 10:09 | 信仰 | Trackback(3) | Comments(2)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/5346399
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from チャイナテーブル千里中央.. at 2007-05-08 11:12
タイトル : チャイナテーブル千里中央
チャイナテーブル千里中央に関する厳選された紹介です... more
Tracked from aopewc xdeene at 2007-05-10 07:48
タイトル : oz oojez
wvauqare vdaixi... more
Tracked from iolucedg ea.. at 2007-05-10 20:24
タイトル : lruu miuqi
xuepi ijelepe... more
Commented by 重松 和代 at 2007-05-07 13:30 x
 生長の家の真理をとてもわかり易く説かれていて、感動、感謝の思いで読ませていただいています。ありがとうございます。
 
 
Commented by koujihori at 2007-05-07 17:07
重松様

 コメント有り難うございます。こちらこそ、コメント頂いて感謝感激です。これからもどうぞ宜しくお願い致します。
<< 日時計主義 心のレンズの歪み >>