生長の家とは何か(2)

 宗教とはそもそも何であろうか?今まで有史以来、宗教的天才と言われるのは釈迦とキリストそして、生長の家創始者である谷口雅春先生という事になると思うが、こうした天来の宗教的天才というのはそもそも宗教なんて作ろうなんて夢にも思わなかったのである。それぞれ血の滲む様な求道生活の中からついにインスピレーション的に感じた天才的悟りの悦びを嬉しくて周囲にお伝えになったに過ぎない。

 キリスト教や仏教は実に様々な宗派、宗門があるがそれは後世の人達が勝手に作り上げたものである。キリストは当時のユダヤ教に余りに多くの宗教的制約、束縛があるのをそれからの解放を盛んに唱えておられたという事であるし、釈迦も出家後、最初はバラモンの教えに従って、苦行したが、苦行は悟りの因ならずということでそのまま、当たり前の生活が悟りの生活であるとお悟りになったのである。
 谷口雅春先生も宗教法人生長の家を立ち上げようなんて考えてもおらず、御自分のお悟りを雑誌「生長の家」誌として発表し、知人に伝えている内に治病とかその他奇跡的な事が盛んに起こって来たので、見る見る内に広まって行き、信徒が増えて来て、恰も宗教教団の様になったに過ぎない。しかし、生長の家はそもそも宗教ではないのである。それは生長の家の四部経の中にある「聖使命菩薩讚偈」に「吾らは全ての宗派を超越し・・・」とはっきり示されているし、その解説を生長の家総裁、谷口清超先生が「菩薩は何を為すべきか」という本の中で「この教えは実に広大であって、従って、吾々の運動は決して、一宗一派に偏したものではないのであります。」と述べられている。

 宗教はナイと宣言したのが生長の家である。本当に実在する神様の世界、実相世界に宗教など無いのである。宗教とは人間を縛るものである。宗教とはこの神を信じねばならぬ、この会に入らねばならぬ、この行をしなければならぬという縛りである。
 生長の家は人間神の子の教えである。「そのままでよい」の教えである。自性完全円満(そのままでかんぜんえんまん)の全ての人類の生命をただ祝福する教えである。生長の家は人間を縛る教えではなくて、人間を解放する教えである。それなのに「生長の家をやらなくてはならぬ。」「生長の家に入らなくては又は入れなくてはならぬ。」「生長の家の行をしなくてはならぬ。」と生長の家に縛られる者は生長の家を知らざる者である。

堀 浩二 
by koujihori | 2007-05-09 15:16 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(11)
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Tracked from 目黒駅カフェの案内 at 2007-05-15 09:47
タイトル : 目黒駅カフェ
目黒駅カフェについての厳選された案内です... more
Commented by yukiesakai at 2007-05-10 00:16 x
悦びと感謝の気持ちが溢れ出て、行になり生長の家の生き方に成っていく。と言う事ですね。 
Commented by koujihori at 2007-05-10 09:06
幸江さん

 コメント有り難うございます。今回はちょっと刺激的な表現でしたね。でも、いつも私の真意を汲んで下さるので有り難いです。
 でも、僕は生長の家をやるには最初は徹底して、形から入っていいと思います。スポーツでも武道でも徹底して型を何千回も反復練習する所から入りますもんね。生長の家も徹底して行をやるとか、伝道するとかする中で内側に既にある「そのままで完全円満の生命」を自覚して、幸江さんの仰る悦びと感謝の気持ちが溢れ出て、自然な行となり、生長の家の生き方になるという事です。
Commented at 2007-05-10 12:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2007-05-10 13:06
重松様

 コメント有り難うございます。ジョン・レノンのイマジンという曲をご存知ですか?その歌詞の中で宗教もナイ、要らないという部分があります。僕はこれは深い真理だと思うのですが。
Commented at 2007-05-10 16:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by koujihori at 2007-05-10 16:50
重松様

 〉真理を求めている人たちにも宗教以外の機会があります。組織となると独特の雰囲気を持ち、ある意味排他的ではありませんか?

 そうですね。僕は以前は生長の家だけが最高の教えであると思っていたので他の本は馬鹿にして読みませんでした。でも10年位前から世の中には実に沢山の立派な真理の書があるのを見出しました。

 組織には確かに弊害はあると思います。実際、生長の家の全国大会とか講習会などの目標を突破する為の手段にはとても信仰者とは思えない事をする人もいます。でも、私は生長の家の組織が無ければ、生長出来なかったと思うし、誌友会等で色々な方達に真理のお話をする事も出来ないのでやはり、組織は有り難いと思っています。
Commented by 三谷文人 at 2007-05-10 22:16 x
 宗教はこれまでに多くの人を救ってきましたけれども、一方で、多くの人から真理や神を遠ざけてしまったという一面もありますね。生長の家も新興宗教団体と認識されている以上、例外ではありません。
 従来の多くの宗教者は、神や真理というものを「宗教」という狭い概念に閉じ込めてきました。これからの宗教者の役割は、神や真理というものを「宗教」という概念の殻から解放することではないでしょうか。宗教を拡げるのではなく、神や真理を「宗教」の世界から全ての人類に取り戻す時です。
 宗教家ではない、市井に生きる人々の口から、神や真理が語られる様な時代がそう遠くない未来にやってきそうな気がします。生長の家の人類光明化運動もそういう方向に向かっているのかも知れませんね。
 
 
Commented by koujihori at 2007-05-10 23:13
三谷さん

 三谷さん、ようこそおいで下さいました。お待ちしてましたよ。さすがに三谷さんらしい高いご見識ですね。

 実は今回の文章はこの間、三谷さんからちょっと見せて頂いた例の本の影響がちょっとあります。
Commented by yukiesakai at 2007-05-10 23:48 x
>宗教家ではない、市井に生きる人々の口から、神や真理が語られる様な時代がそう遠くない未来にやってきそうな気がします。

三谷様はじめまして。本当のそうなる事を切に願っています。生長の家は最初からその様な世界を描いて始まっているのですよね。堀先生。
Commented by koujihori at 2007-05-11 09:02
幸江さん
 
 その通りですね。僕は英会話の仲間とか野球の仲間など実に様々な仲間がいます。生長の家の組織の人達だけの付き合いに留まっているのはいやなのです。そうした仲間とよくお酒を呑みますが、色々な為になる話が出来て、ある意味有意義だと思っています。
Commented by 重松 at 2007-05-11 13:17 x
三谷様はじめまして。
 >宗教家ではない、市井に生きる人々の口から、神や真理が語られる様な時代がそう遠くない未来にやってきそうな気がします。生長の家の人類光明化運動もそういう方向に向かっているのかも知れませんね。

 本当にそう思います。それをふまえて環境問題を考えると生長の家が環境問題に力を入れている事が納得できるような気がします。

堀様
 舌足らずでごめんなさい。私は組織を全く否定しているものではありません。組織の中で喜びいっぱいで活動されている方達はすばらしい方達だと思っています。組織の外にも成長の家の外にも真理を生きていると思える素晴らしい人々に出会うにつけ、組織にとらわれず、真理をこそ賛嘆するものです。

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