悩み

 2年前の5月1日の当ブログに次の様な文章を書いた。

 (ある仏教の寓話の一つにこういうのがある。それはある人が自分の家が狭くて狭くて仕方がないとこぼしていて、それがその人に取っては最大の悩みであったのだが、それを知り合いのあるお坊さんに相談したら、そのお坊さんは何とその人にその人が飼育している牛と馬を家に入れて、その家の中で飼育しろと指示したのである。
 当然、その人はただでさえ狭いのにこの上、牛とか馬を家に入れたらもっと狭くなりますと抵抗したが、結局、そのお坊さんの指示通り、牛と馬を家に入れて、しばらく暮らしていた。その内、またそのお坊さんが来て、お前、そろそろ牛と馬を外に出せということを指示して来たのでその人は言われるままに牛と馬を外に出したのである。そうしたら牛や馬で大変狭く感じていた家が本当に広々としたものに感じられ、ああ自分の家は広い家であったと認識を新たにしたというのである。)

 この事は何を教えてくれているかと言うと、悩みの種とか問題というのはそもそも具体的に存在せず、それは自分が勝手に心を引っ掛からせていただけであるという事である。テレビでも「私のこの鼻があと1センチ高かったら・・・、私のこの目があともう少し大きかったら・・・。」という美容整形を勧めるコマーシャルがあるが、人は大抵自分の容姿のどこかにコンプレックスを持っていて、これさえもっと良くなれば自分は完璧になれると思う傾向がある様である。
 でも、そうした人は整形して自分の欠点を治したとしても、またその内、他の欠点に引っ掛かって、また整形したくなるそうである。

 本当の世界は完全円満の神の国であるから、そもそも問題など本来無いのである。問題みたいに見えるものは自己の心が勝手に想像し、自ら現象世界に映し出しているだけなのである。自分の既に与えられた良い所に感謝せずに悪い所ばかり見て、心を引っ掛からせているのである。
 従って、そうした心でいる限り、一つの悩みが解決したとしても次々と悩みの対象が入れ替わって、尽きないし、言わば悩む対象は何でも良いのである。
 何故、そうなるかと言えば、感謝が足りないからである。悪い所ではなく、良い所のみを見て、感謝する心であれば、問題は消え、悩みも消える。感謝が大事である。今、生かされている事、恵まれている事、愛されている事への感謝である。それがものごとの良い所のみを見て、感謝する日時計主義となる。そういう心になれば、心に歪みが無くなるから、自分の心の投影された世界であるこの現象界から不完全な事象も消えてしまう。そうなれば悩む事も無くなるのである。

堀 浩二

Worry

I wrote an essay below at May fifth 2005

There is a story of Buddism. Some day, a guy complained about a smallness of his house. That complaint was his most worry. The guy talked to some monk about his complaint. So the monk commanded the guy to put a his cow and a his horse in his house and feed these animals in his house.
He was astonished by a order of the monk. And he insisted that if he feed these animals in his house, his house would become more narrow. But at last, he obeyed the order. After that he continued to feed these animals for a while. Some time the monk came to the guy's house and ordered him to put away those animals from the house. The guy put those animals from his house in order to the command of the monk. So the guy noticed that his house was spacious.

This story teachs that there is no concrete problem and that your mind only be stuck with the problem which seems existent.
There is some t.v. commercial that some girls murmur themselves that if their nose would be a little higher and that if their eyes would be a little bigger. It seems that most people have a inferiority complex for their looks. And they seem to think that if their faults would be cured, their looks could become perfect.
But it seems that if they could make their faults of looks better by a surgery, they would become to have an another complaint for their looks. So they want to take next surgeon again.
As real world which exists in the inside of the phenomenon is a perfect country of God, so there is no matter at all in fact. Something which look like a problem is merely what you only imagine in your mind. By your mind you project the image of the problems.
You don't thank happiness which is already given to you but complain about your tiny faults. And you are stuck with the faults. Therefore if you continue to have a such a mind which complain your faults, your troublesome would not disappear. Because your feeling of appreciation is scarse.
If you do not see a bad point of everything but see a good point of anything, and you thank the good point, your troublesome would disappear.Appriciation is very important. You should appreciate to being sustained, to being given a lot of welfares, to being loved by God. Such a lifestyle become a principle of sundial.
If you have a custom of seeing only good point, all the things which are unperfect would disappear. Because if your mind would become to see only goodness, the lenz of your mind become right. So all the unferfect thing would dissapear around you , because all the phenomenon around you is only image which you cast by your mind.

Kohji Hori
by koujihori | 2007-05-14 10:07 | 信仰 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 三谷文人 at 2007-05-15 21:57 x
 あまり人からはそういう風に見られないかも知れませんが、私は生来、病的に神経質な性癖の持ち主で、かなりの完全主義者でした。
 常にもっと良かった場合、より理想的な状態を心に描いて、欠けている部分、足りない部分にいつも心が引っ掛かってしまう。だから、不平不満だらけのワガママな人間でした。自虐的に自分を責めるから、自信を持てないし、生かされているという感謝の心もない。
 でも、自分の未熟さや現象の不完全を素直に肯定し、手放せるようになるに従って、ようやく穏やかな精神生活を取り戻せるようになりました。
Commented by koujihori at 2007-05-16 08:15
三谷さん

 仰る通り、全然そんな風には見えないし、一緒にいても感じませんでした。それは三谷さんが以前の状態を克服されたからだったのですね。

 でも、神経質とか完全主義というのは人間だけですよね。それはとりもなおさず、人間には本来、完全が宿っているからだと思います。神経質とか完全主義というのはそれが表面に出てくる為の前段階、基礎工事だと思います。
Commented by erica at 2007-05-16 15:27 x
堀さん
勿体無いお言葉、ありがとうございます。
今回は英語訳が付きましたね。ありがとうございます。
外国語から母国語への翻訳は、意味の解釈や専門用語などの問題を含めることで楽な作業ではないと私自身はよく分かっています。ところで、堀さんはプロ翻訳者以上の努力をなさっていると思います。自分の目には見えない外国人のために、母国語から外国語である英語へ、「真理を学びあう」貴ブロッグの内容の翻訳を続けています。
私はその努力を見ると、堀さんを深く尊敬し、深く深く感謝するほかはありません。
私はこれから英語版の『生命の実相』を読み、英語での生長の家の専門用語も把握していきたいと思っています。英文がよく書けるようになり堀さんのお役に立てることができれば幸いです。 
さて、『悩み』へのコメントです。 感謝してある悩みが解決しても、別内容で悩みを繰り返すことがありますね。私の人生を振り返ってみるとその様なことが多かったと思います。ですが、今日は、より「高度な悩み」でもスムーズに心を治し悩みを解消させることができていると思います。
日時計主義の人生を続けることが大事ですね。
Commented by koujihori at 2007-05-16 23:19
Ericaさん

 こちらこそ過分なお言葉、有り難うございました。そう言ってくださると私もその言葉に見合う人間にならなくてはと奮い立ちます。

 「悩み」は本来存在しませんが、悩みとか迷いとは実は悟りの基礎工事であるとは谷口雅春先生御著書「神、真理を告げ給う」にあります。または煩悩即菩提という仏教の言葉もあり、これは煩悩即ち迷いとか悩みがそのまま菩提(悟り)につながるという意味です。
 だから、迷いや悩みを頭ごなしに否定する必要は無くて、悟りというのは迷った状態から悟るという課程を通して、現象界に表現されます。要するに吾々は今、このままで実相が顕現する生長過程そのものだと言うことですね。
Commented by yukiesakai at 2007-05-17 22:05 x
私は本当に悩まなくなりました。悩む事があってもとらわれなくなったといいますか。今日、主人が足のボルトを抜く手術をしました。交通事故の加害者の方が来て下さって、奥さんが加害者なのですが、ご主人も仕事を早退して一生懸命に御詫びを言って下さって…。人に迷惑をかけると、こんなにもあやまらないといけないんだなあと、申し訳ないような気さえしました。不自由になった主人の気持ちを考えると言葉を選びながら応対しましたが、心の中で神様を呼び続けました。加害者の方の幸せをもっと真剣に、自分の命と一体で、貴方が幸せにならなければ、私も幸せでないと思えるくらい、愛して、許したい気持ちになりました。
Commented by koujihori at 2007-05-17 23:25
幸江さん

 僕は交通事故の加害者として、その事故の相手の奥様の気持ちは痛いほど分かります。でも、僕はその事が又、僕自身の実相を観る訓練であると分からせて頂きました。
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