実相が出て来るということ

 私はあるスポーツのある運動動作が出来なくて、非常に困っていた事があって、それを克服する為に自分なりに研究と努力を重ねていたが、全然改善する兆しが無かった。しかし、先日、仲間とそのスポーツの練習をしていた時に、とっさにその運動動作をやれている自分を発見したのだった。
 その時、私は悟った。「ああ、今まで自分のここが駄目だ、ここが出来ないと心を引っ掛からせて、それを良くしよう、良くしようとしていたから、出来なかったのだ。良くしようと思う心は良くないと認める心であった。この世界は思ったら思った通りになる世界であるから良くないと認めれば、いくら努力しても良くならないのは当然であった。これから努力して良くなるのではない。自分は今、神の子無限力であるから、たった今出来るのだ」と。

 我々は何かの人生上の問題が出て来た時にそれを克服すべく努力をする。そして、生長の家を一所懸命やり、その中で祈ったり、愛行したり、訓練したりと一所懸命に努力する。そして、良くなる場合もある。しかし、それが中々その努力が実らずにますます悪くなるなんて事もある。 
 そんな時はその問題が教えてくれている事が我々の我(が)の目論見を超えて、非常に高度であるからである。単にその事が現象的に良くなる、肉体的に治るなんて物質的な事よりも、それを遙かに超えた高度な真理の悟り、即ち、肉体を超えた我々の本当の生命は自性完全円満(そのままでかんぜんえんまん)であるという悟りという素晴らしい宝物が隠されているのである。
 我々がいくら努力してもその成果が現れない時は我々の努力が無駄であるとか、その問題は解決出来ないどうにもならないことであるという事ではなくて、その問題の奥には我々の我(が)の予想を遙かに超えた素晴らしい神様からの贈り物が用意されているという事なのである。心配しなくても実相の素晴らしさは我(が)の目論見を超えて、その人の生長に取って最も良い時期に最も良い形で現れる。
 実相が出て来る時期は神様にお任せせよ。まだ出ないかなんて考えてはならぬ。実相は我々の魂の生長に最も良い時期に出て来る。
by koujihori | 2007-05-28 14:20 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(2)
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Commented by 三谷文人 at 2007-05-30 05:49 x
 困難な問題が起きるのも、そして実相が出て来るのも神様の掌の出来事なのですから、全てを安心して神様のご計画に委ねるのが良い、ということですね。
 谷口清超先生がよく仰っていた「待つ喜び」というのは、そのところの心境を語っておられたのでしょうね。
Commented by koujihori at 2007-05-30 08:49
三谷さん

 三谷さんはいつも僕の言いたいことの奥の奥を受け取って下さいますね。全託の信仰というのはこういう事だと思います。榎本先生はそのことを「我(が)は要らない」とお教え下さいました。
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