人生の羅針盤

 我々の住んでいる現象世界は余りにも複雑な事象が見えているのである。そして、色々な宗教だの開祖だのそれ以外にも評論家とか政治家とかが色々な事を言い、色々な情報が溢れている。右の人も居れば、左の人も居るし、それはそれで、それぞれの言う事が、それぞれもっともに聞こえるのである。
 それらの情報の中にはここで話すのもはばかれる様な信じられない驚愕的なものもある。それは生長の家の真理と共通しているかに見える部分もあるし、違う部分もある。そうなると我々は何を信じて良いのか分からなくなる事もある。自分が今まで生長の家の真理を勉強して、これが正しいと思う事が覆される様な情報に出会う事もあるのである。

 しかし、真理の目から見れば、それらの情報や複雑な事象はナイのである。如何なる複雑な驚愕的な信憑性のある様な事象や情報であってもそれらは全て現象であり、ナイのである。
 真理は自分の中にのみある。その事が分かれば、我々は如何なる情報にも徒に影響される事なく、鵜呑みする訳でもなく、自分の中の真理の基準に照らし合わせて、そのあまたある情報の中からそれぞれの情報の奥にあるエッセンスのみ取捨選択して取り込む事が出来るのである。それが我々が生きていく上で是非、持たなくてはならない羅針盤である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-06-06 10:39 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented by erica at 2007-06-06 23:27 x
「真理は自分の中にある」ことは、神様は吾が内に宿っているとのことと同じですね。
しかし、吾が内なる神がうまく表現できるように練成が必要であると同じように、「真理」を「我の欲望」と間違わないため、神の御心を生きる信念を忘れてはいけませんね。
Commented by koujihori at 2007-06-07 09:08
Ericaさん

 コメント有り難うございました。

〉「真理は自分の中にある」ことは、神様は吾が内に宿っているとのことと同じですね。

 正にその通りです。それが聖経「甘露の法雨」にある「神の国は我が内にのみあり」のキリストの言葉です。

〉「真理」を「我の欲望」と間違わないため、神の御心を生きる信念を忘れてはいけませんね。

 確かにその通りですが、我々が神であるのは今ですから、今の自分の切なる願いが神の願いであると思っていいです。自分の心を清め切ってからでないと自分の願いは我(が)の願いで神の願いではないのではないか?なんて思っていたら、自分の心が完全に清まり切るなんて時は永久に来ません。自分の汚れた潜在意識なんて、たった今、ナイ!のです。
Commented by erica at 2007-06-07 11:12 x
堀さん、コメントを書いているうちに堀先生の答えが分かっていました(笑)。私は自分の声に従って行動を取り、人生を進めているつもりです。知らないで我(が)の声に従っていても、実は我(が)は存在しないため、いずれ神の声と一つになると信じています。
ですが・・・、すべての人も神であることも信じなければいけませんね。「現象世界があまりにも複雑な事象がみえているのである」のは、みな、それぞれ自分の見解のみを視野に入れているからではないかと思うときがあるのです。
しかし、人々すべてが神の子であり、たった今「実相」しか存在しないことを思い出すと、安心して、感謝をこめて、円満完全の人類を拝む気持ちでいっぱいになります。
いつも有り難うございます。
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