どうして生長の家、総裁・副総裁に中心帰一するのか(3)

 生長の家は1930年(昭和5年)に谷口雅春先生によって創始された。先生は元々、大本教の幹部であられたが、その後、バキューム・オイル・カンパニーという外資系の会社で翻訳係としてサラリーマン生活をされている時に生長の家の運動を始められた。

 先生はお若い時からの血の滲む様な求道生活の中でついに実相独在の生長の家の真理を悟られ、そして、「今、立て!」の内側からの神様の啓示により、生長の家を始められた。そして、雑誌「生長の家」を自費出版で千部出され、それを知人で脈のありそうな人に無償で進呈した所、それを読む人の中から治病他の奇跡的事象が現れて、燎原の火の如く、当時の日本に拡がっていったと言う。

 そして、一時は信徒数200万とも言われる様な所謂、日本の大教団となったのである。そして創始者の谷口雅春先生が昭和61年に逝去されて、その法燈を二代目の谷口清超先生がお継ぎになり、現在は三代目の谷口雅宣先生にその法燈は引き継がれている。

 生長の家は谷口雅春先生が創始された教えであり、生長の家の基本教典「生命の実相」も聖経「甘露の法雨」も神想観という生長の家独自の瞑想法も全て、谷口雅春先生が霊感的にお書きになり、あみ出されたものである。従って、生長の家の教えは谷口雅春先生の教えと表面的に見えるのは仕方がない事である。
 しかし、生長の家は神様の運動であって、決して谷口雅春先生個人の教えではない。そこが根本的に分かっていないとつまずくのである。

 私は生長の家を長くやり、色々な経験をし、そして、幸運にも偉大な師、榎本恵吾先生の薫陶を受ける事が出来、生長の家の教えを実際のものとして、自分の中に実感出来る様になった。
 従って、正直に言うと、生長の家の真理を今更、誰かに指導される必要は自分はもうないと何となく思っていたのである。しかし、私は先日、拙宅で開催している誌友会に出講して来られた地方講師の先生にある事を指導された。
 その時は内心ムッとしたが、それがその時の私に取って、本当にかけがえのない指導であったという事が後から分かったのである。それはその地方講師の人個人がした指導ではなくて、その講師を通じて、生長の家の神様が私に適切な指導をして下さったのである。
 我々はどんなに生長の家の組織の中で偉くなって、人から先生とか何とか言われる立場に立ったとしても、生長の家の運動の中では一人一人が生長の家の大神の広大なる運動の導きと教示を受ける一求道者であり、一活動者に過ぎない。そして、それは同時に如何に一昨日とか昨日に光明実践委員とか地方講師になりたての信徒であっても、ひとたび、誌友会とか練成会などの神に祈りを捧げて始まる生長の家の行事で講師として派遣された以上はそれはもう生長の家の大神の働きが働いて、その場の師となるのである。
 従って、生長の家総裁・副総裁はもちろん、誰でもなれる訳ではなく、それにふさわしい方がなられるのであるが、その生長の家総裁・副総裁となられたら、もうその人の個人的力量以上の生長の家の大神の運動の元の元がその方を通じて、展開されるのである。それを我ら生長の家信徒は師として仰ぎ、ハイと従うのは当たり前の事である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-06-08 14:12 | 信仰 | Trackback(4) | Comments(22)
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Commented by 三谷文人 at 2007-06-09 09:35 x
 堀さんは以前、「生長の家は谷口雅春教でも、谷口清超宗でもないんだよ」という様なことを仰っていましたね。生長の家大神の理念の継承を観ることが大切なのですね。

 私は元々、「中心帰一」という言葉が先に来ることに抵抗がありました。自己の内に、「神の国」を求める信仰に徹すれば、生命の根本原理に則って、自己に中心帰一の真理が顕れるのだと思います。
 神様の御心にハイ!と言うことが出来れば、自ずと総裁・副総裁にもハイ!と言えるようになるのでしょうね。
  


Commented by だるま at 2007-06-09 11:31 x
はじめまして。堀さんの意見はほとんど共感を持って読んでおります、
生長の家にふれた者です。

『どうして生長の家、総裁・副総裁に中心帰一するのか(3)』

『ネコが子を生んだ』

私の巡回コースのこの二つの題が何とも奇妙に目に入ってくる。
何か書こうと思うと書けない気もしないが、何か書く気が無くなる。

堀先生、本日のテーマとして御講話希望いたします。

(削除していただいても結構です)
Commented by hayase at 2007-06-09 12:50 x
堀さんの、お家の宗教は生長の家だけですか?
私の家は、浄土真宗です。
もし、先祖代々の宗教をお持ちなら、それと生長の家のバランスは実生活でどのように保っているのですか。
Commented by koujihori at 2007-06-09 23:18
三谷さん

 いつも有り難うございます。

〉堀さんは以前、「生長の家は谷口雅春教でも、谷口清超宗でもないんだよ」という様なことを仰っていましたね。

 え、僕、そんな事言いましたか?すいません。憶えてません。ある方も僕に昔、言った事を全然、憶えてないって仰ってましたけど人間って自分が言った事って憶えてないんですね。言われた方は憶えているのに。

〉神様の御心にハイ!と言うことが出来れば、自ずと総裁・副総裁にもハイ!と言えるようになるのでしょうね。

 その通りですね。僕はその人の生長の家の信仰のありようが生長の家総裁・副総裁という鏡に映ると思います。その人が生長の家の神様への真の中心帰一の信仰が出来ていれば、現象の生長の家総裁・副総裁が自ずと中心帰一したくなるようなお姿でその人に観じられると思います。
Commented by koujihori at 2007-06-09 23:24
だるま様

 コメント有り難うございます。でも、仰る意味が今一つ分からないのですが。もしかしたら、私の文章が示す様な宗教的指導者として尊敬すべき副総裁先生が猫が子供を生んだ云々なんて、そんな下世話な事を発表されていて、そんな人は宗教的中心者として尊敬するに値しないとおっしゃりたいのでしょうか?
Commented by koujihori at 2007-06-09 23:31
hayase様

 僕の家は先祖代々、日蓮宗です。父方も母方も同じです。普段は殆ど意識しません。でも法事とかには南無妙法蓮華経を唱え、全然違和感はありません。だって、それって生長の家の「実相に帰一する」というのと同じ意味ですから。

 それと私は生長の家は宗教と思っていません。全ての全てだと思っています。
Commented by hayase at 2007-06-10 00:36 x
「普段は殆ど意識しません」ということは理解できます。ただ、生長の家が全ての全てなら、先祖代々の宗教も全ての全てではないかと思います。私の場合は、生長の家の教えはわかりやすいこともあり、あらためて浄土真宗の教えをひもとくこともなく現在まできています。そのことで浄土真宗に対する(ご先祖さまの信仰に対する)後ろめたさはありますね。自分は、何のために浄土真宗を信仰しているのだろうと。もっと、もっとお寺の行事にも参加しなけりゃいけないんだろうとは思っています。
「私は生長の家は宗教と思っていません」とのことですが、現に生長の家は宗教団体ですから、一般に通用するものとは考えにくいです。
Commented by だるま at 2007-06-10 08:25 x
堀様ご返事をありがとうございます。
以前テレビで見ましたが、モンゴル?では老齢の男性がおおかみの巣に行って、巣穴に手を突っ込み狼の子を取り出し、「一匹だけは残して置くのさ。狼も人間も神様に創られた仲間だからね」と言っていました。そこには現実と宗教的なものが結びついた深遠なものを感じました。
『ネコが子を生んだ』でも、これから深遠なものを展開する素材があるのか、はたまた単なる日記であるか、また以前堀様が書かれていた「組織と言うものは」は同感でありますので、その組織的なるものとは、この猫の話はまったく結びつける必要はないものか、などと何とも奇妙な気持ちになっております。
Commented by koujihori at 2007-06-10 18:52
hayase様

 私はhayaseさんとは違って、日蓮宗を信仰しているという感覚はありません。生長の家は全ての正しい宗教の根幹を現代語で分かり易く説いているから、生長の家をする事は日蓮宗にもつながるだろうとは漠然と思いますが、普段は殆どそれも意識していません。ご先祖様もその事を理解して下さっていると思います。

 というのは私は正にご先祖に守られ、導かれているとしか思えない人生だからです。

 ところで生長の家は宗教ではないですよ。生長の家は全ての宗派、宗門を超越した広大なる慈門であるとは「聖使命菩薩讃げ」にあります。

 雅春先生は生長の家を宗教と呼ばれたくない、呼ばれるのはいやだとずっと思っていましたが、国から、戦後、生長の家は教団の形態は整っているし、現に救済されている人が大勢いるからその法人格を宗教法人としなさいと命令され、便宜上宗教法人になっているに過ぎません。
Commented by koujihori at 2007-06-10 19:00
だるま様

 そんなに難しく考えなくても良いのではないですか?別にあの猫の話に隠された宗教的意味なんて無いのじゃないですか?ただ、私が思うに雅宣先生は動物好きでかつ個人的には茶目っ気たっぷりなお方みたいですね。以前も牛にいないいないばーをしたとか言う御文章を読んだ記憶があります。
Commented at 2007-06-10 20:03 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yukiesakai at 2007-06-11 00:25 x
おじゃまします。だるまさんの困惑に親しみをおぼえますが、小閑雑感は先生のその日のアイデアを素直に公開してくださっているのではないでしょうか。崇高なものから趣味のものまで。受け取る側も心のゆとりと感受性が必要だと思います。

唯、雅宣先生が猫好きなのは間違いないのでは。

掘先生は犬を可愛がっていらっしゃいましたよね。

私は生長の家は霊感的に受け取っていた頃は宗教の色を強く感じていましたが、今は掘先生の仰っている感覚が良くわかります。
Commented by koujihori at 2007-06-11 08:52
幸江さん

 久しぶりのコメント有り難うございます。仰る通り、僕は犬が大好きです。でも猫はちょっと・・・。犬は愛情表現が豊かで忠実ですよね。その点、猫は自分勝手な感じが僕にはします。

 それと僕は実は宗教というものが好きではありません。一度入ったら抜けられない感じ、縛られる感じが嫌で、でも生長の家は宗教ではなくて人を縛るものではないと確信したから、友人でも会社の人でも構わず伝道しました。現在はその事にもとらわれず、伝道の機会は神様が与えて下さるというゆったりした心境でいます。
Commented at 2007-06-11 09:30 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by erica at 2007-06-11 11:03 x
堀さん、コメントいっぱいで嬉しいですね。おめでとうございます。
まず、猫についてコメントです。妹は猫が大好きなので、幼い頃は家は子供だけでいっぱいだった(7人)のに、猫の数はその場合以上ありました。私は犬の方が好きで別に犬を2,3匹飼っていました。が、猫もお家主を尊敬し、愛しますよ。そういうのは、妹が病気して込んだり、寂しくなって泣いたりすると、その数多くの猫は皆妹のそばに集まり、妹が元気になるまで見守ってあげていたのです。また、家族の他のメンバーに大泣きをかけ、妹への助けを求めようとしていました。人間も動物も性格や表現の仕方は異なりますが、心のどこかに必ず愛が宿っていると思います。
Commented by koujihori at 2007-06-11 11:32
ericaさん

 へー、そうなんですか。猫にもそんな細やかな愛情があるのですね。貴重なお話をお聞かせ頂いて有り難うございます。
Commented by erica at 2007-06-11 11:44 x

宗教とは、英語では religion というが、もともとラテン語の religare から来た言葉であり、そのラテン語での意味は 「再び繋ぐ」ということです。何を再び繋ぐかというと、本来一つであった神と人間がどこかで縁が切れたため、再び繋ぐ必要があるということです。
生長の家はあらゆる宗教団体にたまたま発生する原理主義を超える教えだが、だからこそ、生長の家の伝道者である我々は、存在する多くの宗教を尊敬し、それらの実相を見なければいけません。
私の印象では、ブラジル人は多国の移民から成り立ったため、人々は各宗教を出身国の文化の表れとして見、他の宗教を尊重することができ。午前中はカトリック教会、午後はアフリカン霊清道場、夜は生長の家に行かれるという人は、ブラジルでは少なくないです。ころころ宗教は変えているのは良いこととは言えないが、混血国民である限り、先祖の宗教を続けるためにはそうするしかないです。そこで、生長の家はもともと国民性として整っていた他宗教尊重の理解をより深く解説してくださり、更に人間神の子には罪は存在しないことを説いているため、国民の魂の向上に大きく貢献していると思います。
Commented by koujihori at 2007-06-11 13:11
ericaさん

 宗教(religion)には”再び繋ぐ”という意味があるのですか。貴重な事を教えて下さって本当に有り難うございます。
 
 それにしても午前中はカトリック教会、午後はアフリカンの宗教そして、夜は生長の家というのはすごいですね。壮年層勉強会にお寺の副住職さんがいらして、ご自身が脳梗塞をご家族の生長の家の信仰によって癒されたと悦んでいましたが、最初その人は生長の家に行くのは抵抗があったそうです。生長の家を他宗教と思ったのでしょう。

 私の師である榎本先生が仰ってましたが、ある人が先生にある相談をして来たそうですが、何でも自分は生長の家だが夫は創価学会でそして舅、姑さんはまた別の宗教で自分はどの宗教をやったら、夫や舅、姑にハイの生活が出来るでしょうかという事でしたが、榎本先生は一言「宗教はナイ、ナイものをどれにするも何もナイ」と一喝されたそうです。それは実際の形となっている宗教の外形を見ずにその奥の神の命のみがあり、それだけを観ろという事だと思います。
Commented by 雅宣 at 2007-06-11 18:51 x
もし英語のおつもりなら、綴りは”PROFILE” ではありませんか?
Commented by koujihori at 2007-06-11 22:24
雅宣様

 綴りの間違いを指摘して下さり、有り難うございました。
Commented by koujihori at 2007-06-11 22:26
だるま様

 実名で色々と文章を書くと、たまにトラブルがありました。でもそれも私の心が引き寄せたものです。たまに脅迫めいたコメントも来ますが、自分に人を傷つける心が無ければ、人から傷つけられる事はないので気にしていません。
Commented by 原宿のカラス at 2007-06-18 21:30 x
堀さん。
雅宣さんは猫は好きではないはずですよ。鳥を飼っていたし
好きであれば、あのような目線の書き込みふつうありませんよ。
美化しすぎ、雅宣さんも苦笑していると思いますよ。
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