実相が出て来るということ(2)

 この間、電車の中で女性がレイプされたというニュースを聞いた。その時、その電車内には40人以上の人が同乗していたと言う。私は目の前で女性が暴漢にレイプされているのに誰も体を張って、止める事をしなかったのかと思うと情けないやら憤るやらであった。
 でも、その40人の人達の中には助けたいけど勇気がどうしても出なくて助けられなかったとくやんでいる人もいると思う。人間は皆、神の子で善であるから、不条理な事があるのにそれを見て見ぬふりをするというのは本当は出来ないはずである。勇気をもって、本来やるべき事が出来ないという事はその本人が一番情けなく感じるはずである。
 
 我々はこの様に良い事をしたくてもどうしても勇気が出なくて出来ない時がある。要するにどうしようもない時はどうしようもないのである。我(が)の力では実相は出て来ないからだ。しかし、そうした中でも必死に自分なりに全力を尽くす時、自分に力が発揮出来ないのは自分の心持ちや日頃の生き方に何が足りないか、何が間違っているかという事を如実に学ぶのである。それがより具体的に生長の家の真理を如何に生きるべきかという学びになる。
 
 人間は本当に追い込まれた極限状態は必死に生命が生きているものである。そうした時、本当に大事な事が何か学ぶ事が出来る。その学んだ事を踏まえて、日頃、心の余裕のある時に自分の出来る事から努力、訓練して行けば良いのである。そうした中で徐々に実相の素晴らしさが出て来る。それが実相が出て来るという事である。

堀 浩二
by koujihori | 2007-06-14 09:51 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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